せいり - 2007年05月30日(水) 久々の休日、寝て過ごす。 寝てるときがいちばん幸せ。 わたしがかつて「同調圧力」を感じてつらかったのが、休日にこうして寝て過ごすという話をしたとき「それでは充実していない。時間がもったいない。もっといろいろなことに精力的に取り組み、体を動かすべきだ。若いんだから。」という反応が返ってくるとき。 「仕事をやめたい」という話をしたとき「石の上にも三年」という反応が返ってくるとき。 年配の人から言われるのならばまだしも、同年代の人、とりわけ同期の人々から言われるのが、本当につらかった。 「同調圧力」とは呼べない、かもしれない。 しかし背後に、多勢に無勢的な、いくらわたし一人が声を大にして叫んでも、決してその声は届かない、巨大な、無言の圧力に押しつぶされそうに感じて、とてもとてもこわかった。 今は同じことを言われても、きっと何とも思わない。 彼あるいは彼女の背後にある「日本人」という巨大な勢力を感じなくてもすむ。 あくまで彼あるいは彼女個人の意見として、等身大で受け容れることができるだろうと思う。 なぜかというと、今は、自分の生き方、ライフスタイル、とでも呼ぶべきものが、ある程度確立されているからだ。 当時は揺らいでいた。 不安定で、自分の中でよりどころとするものが見いだせなくて。 だから、その圧力に屈しそうになるのがとてもとても、こわかったのだ。 屈してしまうと、自分が自分じゃなくなっちゃう、そんな恐怖。 現状の差異、それを認識していなかったわたしの非であろう。 同じひとことが「彼あるいは彼女の個人的意見」にもなるし、「同調圧力」にもなる。 これを認識していなかった、わたしの非。 ごめんなさい。 -
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