いろいろ改じゃれ合うエゴ - 2007年04月19日(木) 本当は外山恒一の街頭演説を見物しに行く予定だったのだけど、なんか朝から猛烈に体がだるく、眠気も半端なく、仕方ないので一日寝て過ごしていた。家から一歩も外に出ていない。少なくとも二週間に一度ぐらいはこういう日がないとわたしはどうもリフレッシュできないような気がする。寝だめは逆効果だと少し前のニュースでやっていたが、寝だめをしているのではなく、休息を取っているだけだ。疲れたから休憩する、それだけのこと。 そして夜中になるとこうして元気。 まずいなぁ。 生活のリズムがなんだかおかしくなっている。 わたしは恋愛をするとすぐにその相手との将来を妄想してへらへらする。 「結婚」ということばの魅力は、それが法的に認められた制度だというところにあるのではないかと思う。ただの同棲とは似ているようでぜんぜん違う。たまに「あまり意味がないような気がして」と婚姻届を出さないままいっしょに暮らす人達がいるけど、それではやっぱり心許ないように思える。子どもが生まれてからの問題は言うまでもないことだけど、それじゃなくとも、自分の心構えとして、法律に守られている感があるのは、それがない状態に比べると格段に安心できるように思う。こんなことを思うのは結婚願望が先にあるからではなく、好きな人といっしょに暮らすことを夢見ると、その延長線上に、結婚という選択肢を採るか採らないか、という岐路が出てくるから。こういうのを結婚願望というのか。違うか。まぁ言葉の定義はどうでもいいや。 教室に、また新しい生徒が入る。 この2週間ほどで生徒が4人増えました。 もうウハウハですよ。ウハウハ。(おやじくさい) 面談やらなんやら、いろいろなことをやって、きちんとフォローしていかなければならないと思う。 うちの教室は、地方・国家各種の公務員宿舎ならびに県営団地などが寄り集まった地域の中にあるので、この時期の忙しさはひとしお…なのかと思っていたが、そうでもない。 たまたま転出が今年は一人だけだったからかなぁ。 今教室にいる子にも転勤族の子どもが相当数いるんだけど、もう、誇張でなく本当にみんな出来がいいの。先日書いた3年生の女の子もそうだし、ほかにも、あの子や、あの子や、頭に浮かぶ子はことごとくお父さんが自衛隊だったり警察官だったり、国家公務員だったり県職員だったり、今年はよかったけれども来年の3月を思うと寂しくなる。 お願い、行かないで、ずっとここにいて…。本気で涙が出そうになる。 今からそんなん想像してどうするんだって話やけど。 外山恒一については、仕方ないので、明日、熊日前の演説を見に行ってみようと思う。明後日はわたしは動けないので、明日しかない。 あーあ。今日行っておくべきだったなぁ…。 彼氏のこと、本当はいろいろ考えておりますよ。 ここに書かないからと言って何も考えていないわけではない。 ただ、あんまりしょうもない惚気とか書いたところで、なんかこう、こっ恥ずかしいだけではないですか。 こんなん人様に読ませてどうするんだ、という意識が先に働いてしまって、どうも素直に思いのたけを書くことが出来ない。ここは正真正銘わたしだけのわたしだけによるわたしだけのための日記なんだけどもさ。一日20件ぐらいずつ細々と伸びているアクセスを見るにつけ、あぁ、いつもいつも、本当にいっっっつも、わけわからんことばっかり書きなぐってるけど、そんなんでも見てくれている人がいるんやなぁ、と思うと、こうね。 たまに惚気「しか」ないブログとかも見かけますけど、そのおどろおどろしいまでのピンク色の自意識を目の当たりにして、こんなんできたらいいのになぁ、と思う一方で、いや、これができない自分をわたしは誇りに思いたい、というような感情も湧いてきたりして、ニントモカントモ。 「つぐみ」の一節がこれ以上の実感を伴って身に迫ることはないのではないかと思うが、「恋愛はバトル」なのだということをひしひしとかみ締めている。 いやー。 バトルですよ。ほんと。 初めて読んだときはわたしはまだ中学生ぐらいで、なんがバトルや、恋愛はこの上ない癒しや救いの類に決まっとるたい、と思っていたが、実際バトルだ。Love Is a Battlefield. タモリが言ってたけど「恋愛って、同じところをぐるぐる回ってるだけだよなぁ」って、還暦も過ぎたおじさんがそう言うなら本当にそうなんだろうなぁ、という気がする。 わたしだって、そんなふうに思うときがあるもん。 経験から学んだいくばくかの痛み、それを知っていても、わかっていても、やっぱり同じことを繰り返す。 三谷幸喜も言ってた。 「恋愛で新たに悟ったことは、すでに以前、一度悟っていたことである。」 不毛だ。 この循環を抜け出すには、恋愛をそれ以上のものに昇華させたらよいのだと思う。 だからね。 結婚すればいいんだと思うんだ。 ---------------------------------------------------- 整理するために。 ゆうべの電話はだいたい前日の続きで、わたし自身の中で出所のはっきりしなかったモヤモヤがはっきりした形になって認識できたのはよかったと思う。最初はその話をする予定じゃなかった。やさしく、平和に会話を交わして眠りたいと思っていた。どちらが最初に言い出したか、は、あまり大きな問題ではない。日によって状況が違うから。わたしがゆうべ理解できたのは、この子は本当に真っ白なキャンバスみたいに無垢だなぁ、と。無垢はかけがえのないもので、人の心を捉えて離さない。無垢は残酷だよ。真っ白だから、悪気のないことば、邪気のないことばでざくざくと人の心を切り刻むことができる。図らずして苦笑が漏れてしまうのだけれど、切り刻まれながら、わたしはこの人と離れることができないと思う。離れられないのだ。わたしは本当に無様に彼に執着している。 ことば遣いにはとても繊細に配慮できる人なのに、大切なところすべて「友達」という便利なことばでオブラートにくるんで、何が何だか半透明でよくわからないまま、それでは相手のことも―わたしのことも―「大切にする」ということには、ならないんだよ。ねえ。 今はただの「友達」だと思い込んでいるのは、当事者のあなただけだよ。 ただの「友達」ならば、あんな物語を読んで、涙を流したり、心が揺らいだり、しないんだよ。 「もう少し待って」なんて、言わないよ。 「がんばる」なんて、言わないよ。 がんばらなくても、自然とそうなってるのが友達じゃない。 がんばってる時点で、もう友達じゃないんだよ。 オブラートをはがしてよ。 直視してよ。 じかに触れるのは痛いし、怖い。 だからわたしは、せめて一緒にいるよ。 お願い。 こんなに好きなのに。 あなたが泣き出すずっと前からわたしが涙を流していたことも、あなたは知らないしさ。(隠してたからしょうがないんだけど。) ハッピーマニアの「ためちん」編と、少し似てるかもなぁ、って思う。今のわたしはあのときのカヨコ&ためちんと同じぐらいバカでアホで寒々しくて愚かしくて、それはようくわかっている。 的を射ているのはフクちゃん&マリちゃんの冷ややかな分析。 「何の障害もないのに勝手に燃え上がってたりしてさ…」 「そうそう」 -
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