コミュニケーション不足 - 2005年02月04日(金) 人と会話をしなくてもべつに生きていけるし、むしろ慣れてしまえばこんなに楽なことはないかもしれんと思う。 昨日の「退屈だ」という感情は今日も生きていたので、前にクリアしたゲームをもう一回クリアしてエンディングにちょっと感動してみたり、好きな映画のDVDを見たりして一日を過ごした。 だいたいにおいて新しいものを貪欲に取り込みたいという意欲はあんまりなく、既知のものに対する執着が私はすごく強い(なんだか若さがないな)。 好きな映画といっても実はそれは「風の谷のナウシカ」で、エンディングにちょっと感動したりしてたゲームはFF�召世掘▲淵Ε轡�のDVDに付いている特典DVDの「スタジオジブリはこうして生まれた」という30分くらいのドキュメンタリーを見て「あ、この人知ってる」と妙にスタジオジブリの内部事情に詳しい自分に気付いてしまったりするうちになんだかすっかりオタクのような気分になってきた。 中学生の頃、何も知らずに入部した美術部の先輩がアニメの同人誌を作ってり読んだりしている人で、その人に気に入られていたため妙にオタク事情に詳しい時期があった。雑誌も、年頃の中学生が読むような何とかレモンとかではなく、アニメ誌を買っていた。読んでもほとんど意味がわからないし面白いと思った記憶もないのだけど、なぜかそうしなければいけないと思い込んでいた。バカな中学生だよホント。そのせいで、多分マニアしか知らないような当時のアニメの名前とかがいくつか記憶に残っている。 ある日学校から帰って来ると、本棚に並んでいたアニメ誌が母の手によって一掃されていた。自分の所有物を勝手に処分された怒りより、なぜか「助かった」という気持ちのほうが大きかったのを覚えている。危機感を感じていたのなら自力で脱してみなさいよ、と当時の自分には言いたい。 バカにされるアニメオタクの人は、アニメオタクだからバカにされるのではなく、コミュニケーションの仕方が何かおかしかったり独特だったりするからバカにされるのだと思う。コミュニケーションが達者なオタクは、何のオタクだろうがバカにはされない。 そういう原則はわかっているのだが、私はそれでも正直に言うとアニメオタクが気持ち悪い。厳密に言うと、アニメとかゲームに性欲を何らかの形で絡ませている人が気持ち悪い。 アダルトゲームとかエロいマンガはいいのだ。最初からそういうテーマで作られているから。そうじゃなくて、一見そういうテーマのものではないアニメとかゲームとかの登場人物の中に性を見出して恋をしたり性欲を感じたりする人がものすごく気色悪い。怖い。ここまで書いて、そんな偏見をわざわざさらさなくてもいいじゃないか自分、と思った。該当する人にとっちゃ失礼千万な話だ。ごめんなさい。 でもなんでそこまで怖いのかというと一応理由はあって、生身の人間同士でも、ろくに話したこともないのに勝手な理想像を投影されて辟易することってたまにあると思うのですが、あの恐怖を彷彿とさせるからだ。 けれども架空の人物に対して理想を投影しようが何しようが本人の勝手だし、一緒くたに考えるほうがおかしいよね。やっぱり単なる偏見か。ごめんなさい。 押入れの中でエロチャット嬢に扮し続けていた「インストール」の主人公は物語の締め部分で突然「生身の人間と触れ合いたいと思った」と言い放っているけど(読んでいてその唐突さにはちょっと面食らったけど)、面と向かい合うより、パソコンなりテレビなりの画面を通じて文字媒体で向かい合うほうが楽だ。いわんや相手が架空の人間だったら、たとえ顔が見えたとしても何も考えなくていい。こんな楽なことはない。一生その世界から抜け出なくてもいいなら、多分その人はそのままで何の問題もないだろう。 抜け出なくてもいいならね。 -
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