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 2018年03月31日(土)   “黒”歴史(前編) 

刀ステやら宴奏会やらがリリースされるずっと前、3つしか残ってない
未踏県(青森・大分・宮崎)を減らせるし、何より以前出した元主と長谷部本でも
やたら中津城主と言わせてるのに行ったことない…と思い、どちらかと言えば
試合がメインではなく、むしろついでにするつもりで1泊2日の大分遠征、挙行しました。

大分空港は国東半島にあって、昔は海をホバークラフトで渡ってたみたいですが、
今は大分市まではぐるりとバスで回っていくアクセスとなっています。
(九州の県庁所在地では空港から一番遠いっぽい)

中津は福岡県境にあり、今でも北九州に通勤する人が多いくらいの位置なので、
あえてスターフライヤーの北九州行きをチョイスしました。小倉ではなく、
近場のJR駅に出て…少しでも観光の時間を捻出したいからと、行橋から
特急ソニックの自由席約20分に620円の特急料金を注ぎ込みまして。
白いツバメ、車体は美しいのですが、ボロボロになった革張りシートにJR九州の苦境が…。

中津は古い歴史を持つ河口の街で、福沢諭吉が育った土地として知られてます。
街を歩いても、あちこちに諭吉の著作から抜粋した名言や、同時代の偉人の紹介が
パネル展示されていますし、観光客向けのウォーキングコース案内看板や
道路塗装もきっちりされていて、過去への崇敬が強いのだと感じられました。

河口そばにある中津城を建てたのは黒田官兵衛ですが、この町では黒田家が、
特に城井一族を手に掛けた黒田長政が忌み嫌われているという知識は持ってました。
福沢諭吉の時代でも、公然と悪口言われてたそうですし(ニコ百でも、
中津出身者が長政を「外道息子」と呼んだ祖父のエピソードをコメントしてた)

でも、現地を訪れてみて、想像以上に嫌われているのだと実感したのです。
認めたくないけど、収穫でした…。お城の前に、赤い壁の合元寺に寄りました。
歴史的経緯(この寺で長政たちは城井の部下を斬殺した)を説明した看板、
最後に福岡藩主となった後も長政は禍根を恐れ、仏門に入った生き残りを
呼び寄せて殺した…みたいな逸話が追加されてたんですよ。初めて見ましたわ。

それが事実かどうかは分かりません。私としては信じたくないですが。
でも、肝心なのはそこじゃなくて、20世紀でも信じられて看板建てられてるし、
壁の赤だって、その鮮やかさを保ってるんです。そう、塗り直してでも、
赤いままで後世に伝えていこうとする意思を持つ人が今でもいるってこと。

中津城の薬研堀周辺には官兵衛と25騎の看板が立ってて、「黒田筑前長政」もいました。
ロータリークラブが設置した官兵衛・光姫夫妻の石像には毛糸の手編みが
着せられてましたが、ここが黒田時代の石垣と説明する看板だって
(官兵衛は建設の負担を減らすために、古代の山城から石垣をかっぱらっていたので、
黒田時代の石垣は大きい石が多い印象を受ける。細川忠興が拡張した部分はもっと石が小さい)
設置されたのはおそらく最近。城の横に官兵衛資料館が出来たのはここ数年。

数年前の大河ドラマ「軍師官兵衛」がなかったら、今もほぼ存在を
抹消されていたのでは…という確信を得た中津訪問となったのです。
(栗山備後の末裔が歴史ある和菓子屋をやっていたりはするのですが)

城は江戸時代後半の主だった奥平家(大般若長光を信長から授かった末裔)が
私的に運営しているもので、自分の祖先の物を展示してるんですけど、
黒官石なんて作ったのは、本当に大河くらいからだと思うんですよ。

だって、城の横にある神社、奥平家の祖先と…城井とその家臣ですもん、祭神。
城井神社の入口は鳥居じゃなくて注連縄で、祭殿の修復に寄贈した人々の
リスト看板を、私は縄の外からじっと眺めたのでした。入ったら呪われます私の立場では。
看板、たくさんの人の名前が載っていて…江戸時代、城井の月命日に
住民が集って黒田家を呪ったという逸話、実話かもしれないって思ったほど。

そもそも城井神社を設立したのが、官兵衛じゃなくて、黒田の後の細川、
更にその後に入った小笠原だってなってましたから、説明看板。

黒田長政の、現代感覚でもフォローが難しい事績は「城井をだまし討ち」と
「長年連れ添った蜂須賀の娘を離縁して家康の養女を迎える」が双璧ですけど、
彼の行動はいつも黒田家を存続させるという一念で貫かれています。

長政が城井を滅した経緯をどう思っていたかは、今も福岡市博の黒田資料に
「城井兼光」が含まれていることで明らかです。黒田資料にある刀は、
色々な経緯があって、黒田家にとって本当に大切な20振り弱だけなんです。
その中に城井兼光いるんですから。へし切も日光も長政の命名じゃないですからね。
討ち取った記念に、相手の名前を冠して愛用しているという、揺るがない事実。

だからこそ、二次創作でも有効活用されているのを見たことがない
へし切長谷部の「汚れ仕事も平気で行う」という設定が胸を打ったのです。
(エイプリルフールでとある長谷部botがFGOアサシンになったけど、
その理由が汚れ仕事も厭わないから、だったので余計に印象的だった)

複雑な気持ちになりました。揚げたての唐揚げ(特にやげん軟骨)美味しかったけど、
有意義だった、でも絶対に再訪は無いし、ホテルを中津で取らなくて正解だった、と
思いながら青いソニックで大分市に向かいました。大分市近くないですね…。

大分駅直前で、石丸謙二郎さんによる、大分の二度泣き紹介アナウンスがありました。
大分に赴任を強要されて泣き、離れる時には愛着が泣いて二度泣くという。
なんて大げさな、と思ったんですが、大分市…府内はコンパクトで良い街でした。

駅ビルが出来て3年。JR九州は自ら商店街のガイドブックを作ったり。
城跡のまわりでは桜が満開で、花見という名のバーベキューをする人でいっぱいでした。
大友宗麟もザビエルも、普通に街の景色へ溶け込んでいて。
夜ご飯は超人気のローカル居酒屋で、予約が入る前の1時間限定という条件で、
関サバ、やせうま、しいたけのコロッケなどを日本酒で頂きました。
1000円しただけあって、福岡で食べたごまさばより、かなり美味しかった関サバ…!

なにせ駅前のビジネスホテルですら、普通に最上階に露天風呂がある街。
さすがおんせん県を自称する県の県庁所在地です。お風呂でぐだんぐだんになりました。

今の私に必要なのは、美味しい飲食物と温泉だったのだな〜、としみじみしながら、
のんびり過ごしました。近頃吞まないから小瓶1本で出来上がり。安上がりだな私!

2015.4.5 wrote


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