Land of Riches


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 2009年12月12日(土)   Liberi Fatali 

トヨスポへは、ネタを探しに行った…と記憶している。

あれから7年弱。長い時間だと思う。だけど…柳澤さんがレイソルの一員として
過ごした時間全体からしたら、半分よりちょっと長いぐらいでしかない。

「レイソルが大好きです」
前回のJ2降格直後、トップ昇格が決まったばかりの柳澤さんがフォトギャラリーで
していたピースへ添えられていた一言に勇気づけられた人は少なくないと聞くけれど、
この言葉は、柳澤さんにとってはめちゃめちゃ“当たり前”のことでしかない。
それは、今も。川崎戦の後、やはり口にしたと伝え聞くから。

「もうこれを着るのも最後ですよ」
昨夜の広報日記を読んで、急遽、予定を変更して、午前から日立台入り。
今シーズン最後のトップ練習。戦力外通告を受けた中では柳澤さん・大島さん・
南さんの姿もありました。メニュー自体は、スタッフも交えた全員参加の
ミニゲーム(しかも16人vs13人のスペシャルハンディマッチだったのに、
それをPK戦へ突入するまで誰も気づかなかったという)で、涙が出るぐらい
笑っちゃう場面もあったりして、とても明るく終われたのですけれども。

日立台の練習グラウンドをぐるりと取り囲む桜の樹。冬になると裸になる。
ふくらむ芽をいくつもつけながら…それを初めてしみじみと眺めたのは、4年前。
ユースへの合流をずっと止められていた柳澤さんが、“みんな”と一緒に
練習していたと聞いたから、いそいそと出かけていったのに、代替わりしていたと
現地に到着してから気づいてしまった、あの12月も終わりそうだったある日。

あの冬と、それを越えた後の春や夏を知っているから、今どれだけフロントが
訳の分からないリリースを繰り返そうとも、シーズンチケット買いたくないと
ぶつぶつ言うサポーターたちは、レイソル無しでは生きていけないから、
なんだかんだで春が来たら、来年も変わらずスタジアムへ通うと…予想がつく。

去った人は記憶の中のみで息づくようになり…去った人自身もまた、
新たなるステージでの違うユニフォームが、すっかり似合うようになってしまう。
それを毎年毎年繰り返すのがサッカークラブ。そうしないと死んでしまう。
新陳代謝は必要。2007年のイヤーブックでさえ、残っている選手は少ないんだと
閉店間近のレイソリスタで気づくことができました。なんて切ない。

柳澤さん“も”日立台を離れていく。頭では分かっているのに、
レイソルのエンブレムがついた…彼の人生の半分以上でまとっている、
あのウェアを着た姿はもう見られないのだと、実感がわかないのです。
ファンサービスゾーンで女性にいつも囲まれている姿も、もう見ることは…。

この悲しみは、今がもっとも痛烈なもの。新しい記憶で上書きして、
忘れたふりをすることもできるだろう、そのうち。だけど、消えることはない。

ユースを見ていれば、日立台を離れなきゃいけない選手の方が、
残れる選手より多いだなんて、そんなの定義そのものなんだから、当然なんだ。

離れてしまう事実がこんなにも寂しくて辛いのは、それだけ特別で好きだから。
今まで、こんな想いをもたらしてくれたのは“たった一人”だけだから。
それだけ…柳澤さんはスペシャルなのだと、押し入れからじゃかじゃか出てきた
27番のレプリカ(それもことごとくサインが入っている)を見れば分かるわけで。

ヘディングが強くなったり、人の仕事を心配するぐらい優しくなったり、
変わったところもあれば、子供じみたいたずらをして喜んだり、
甘い物が大好きだったり、ちっとも変わっていないところもあって、二人とも。

その比率が違うから…たぶん今はある。

これからも時間は、今までと同じように…あるいはもっと激烈に、流れていく。
私がすることは、それでもきっと、変わらない。サッカー選手でいてくれる限り。

「やったな!」
闇のおりた人工芝で聞いた歓声は、夢や幻ではないとはっきり覚えているから。
何本も描かれたパスやシュートも、重ねられたゴールも、その後の笑顔も。


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