Land of Riches


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 2004年12月19日(日)   気合いと根性。 

「家が遠いよぉ……」

おなかがすいた・甘いものが食べたい・でも金がない―ワガママを満たせる場として
チョイスされた横浜市内某所のガストでは、大画面で、ちょうど15時キックオフの
ジュビロvsコンサドーレ@丸亀のBS中継が流れていました。オーダーもそっちのけで
スコアレスドローのゲームへ見入ってしまう私とRさん。攻めきれないジュビロと、
カウンターが不完全燃焼のコンサ。決定機を救うスーパーセーブを連発する
藤ヶ谷“とうさん”の、優しげな系統とはいえ、甘さ・ゆるさの消失した守護神の顔は、
彼が山瀬さん@現レッズと今野さん@現FC東京を連れ歩いていた頃のイメージとは
ほとんど重なりません。経験は人を変える…not時間。積んだ実戦経験こそが糧。

17時になると、いきなり中継が打ち切られ、音楽関係の番組になってしまいました。
店員へ、BSに戻してもらいたいと頼もうかと思っていたところ、Rさんが新調したての
WIN端末を見せてきたのでした。そこに記された文字は「得点:川口(延前5分)」。

インターバル、険しい顔でアップする俊哉さんを見た、全員で円陣を組む
コンサイレブンを見た…けれど、勝負は、特にトーナメントでは、あっけなく
決まることが多々ある、それをサッカー好きな私たちは経験則として認知している。




「よっしぃのばかばかばかばかばかばかばかばかばかーっっ!!」



過緊張で良い睡眠が取れたとは言えない私、金欠のため地下鉄経由の時間のかかる
ルートで小机へ向かうため、早々と出発するつもりで支度をしていました。
持っていく物―前回の試合にも持っていったタオマフ、着る人がいるらしいと
blog巡りで見かけたから
(中野太陽会名ばかりの会長の日記。…結局会長は
いらっしゃらなかったようですが(^^;)レプリカ、そして絶対に忘れちゃいけない、
アンブロの青い腕章。これは右腕に巻くもの。今日は“そういう試合”だと
覚悟を決めなきゃ…と自分に言い聞かせる作業が、胸やら胃やら頭の痛みを
誘発させていることは分かっていました。でも、私は完了できなかった…のです。

なぜか右目にコンタクトがおさまってくれず、床を撫でまくるという無駄な作業が
発生したため、出発が完全に遅れ、最寄り駅のホームで電車を待ちながら必死に
路線検索をしてはじき出された小机駅到着時刻は10:58。過去の経験…記憶を
掘り起こしまくり、少しでも乗換時間を短縮しようと(たとえば菊名乗換の
東横線は一番横浜寄りに乗るなど)あがいた結果、1本早く小机には着けて、
時計は10:51でした。小机競技場自体、初めてな私は、駅を走って飛び出したものの、
どこへ向かえばいいのか分かりませんでした。そんな中、風に乗って流れてきた声。

いや、コール。これは、いつも鹿島ユースの試合にいる人の声? 違うぞ?
携帯を見るとメールが2通。そのどちらも同じことが書いてありました。
「太陽工務店の皆さんが大挙していらっしゃってます」
百聞は一見にしかず―土手を登ると、(トップの試合で)見慣れたとも言えるし、
(ユースの試合という観点では)全く見慣れないとも言える幕etc.がありました。

年に一度の鮮やかな上昇線は、その想いまでもを天に昇らせたの?

道端ミーティングのレッズイレブンの横を駆け、トイレから出てくる鹿っ子に
妙な目線を送られながらも(被害妄想)スタンドへ上り、確保していただいていた席で
どうにか見ることができました(多謝!) ひたすら相手を潰しあい、チャンスは
どちらにも訪れず、時計はゆっくりとしか進んでくれません。そう私がぼやくたびに、
若鹿を愛する某さんは正反対のことを言うのでした。時計が進むのが早すぎると。

スコアレスドローは、事前の予想(両チームの個と組織の力を比較した上での
冷静な考え)に比べたら上出来でしたが、現地で過ごした45分の結果としては
必然のようでもありました。ただ、後半は鹿島が黒澤くんを入れたりして、
左(レイソルの右)を破ることに集中したのに対し、石田くんはいっぱいいっぱいで、
宮崎くんは途中交代を余儀なくされました。それでも、何度となくあった
決定的なチャンスも相手のミスに救われ続け、私と某さんはめっきり口数が減り、
互いに指を組み祈りを捧げているのでした―同じものを見ているのに、真逆の祈りを。

「大道がんばれ」と呟く某さんの横で、私は「がんばれえんちゃん!」と口走る。
二人の足がボールをめぐって絡み合い、そこでは遠藤くんが勝ったけれど、
そんな調子で赤の選手と黄色の選手はマッチアップを繰り返す…そして胸が痛むのです。


♪ふなやまたかゆきゲットゴール♪(山下さんのコールと同じ)
♪おおおやーなーぎーさーわーおおおやーなーぎーさーわー(下平さんと(略))



終盤、思い出したかのように安定剤ワイパックスと抗鬱剤トレドミン(昼ご飯の時に
飲むもの。ちょうどそんな感じの時刻だったので)を飲もうとするのですが、
実際のゲームはカバンから薬を取り出す余裕すら、なかなか与えてはくれません。

鹿島ユースがPK戦でどれだけ苦い記憶を積み重ねてきたかを一人振り返る某さん。

諦めるのは嫌いだ、(チーム力で上回る鹿島相手に)ここまで来たなら、
尚更負けたくない、走れ、動け、勝ってくれ、ここでしくじって後悔するのは君たちだ…。

私は時計と睨めっこを繰り返し、ロスタイムの数字も確認し…懸命にしのぐ
レイソルイレブンが、またしても左(レイソルの右)サイドから相手のキャプテンへ
応対しようとしたところ、山本くんは時間がないからと無理して中へは入れず、
あえてCKを取りに行く選択をしました―これが、某さんいわくの勝負の分かれ目。

指揮官はPK戦を考えていた―そんな思惑を完全に打ち砕くボールが、左コーナーの
拓弥くんから放たれ、“運悪く”(この表現は間違いなく不適切な上に、
十中八九“誤り”ではあると思うけれど、あの時の心情はこの言葉でしか
表現できません)誰かの頭にどんぴしゃで当たり、豪快にネットは揺れました。

鹿島イレブン、歓喜爆発!―スタンドも私の周囲はほとんど総立ちでした。
(黄色い人が集まるところに私はいなかったのですよ…隣が隣だったから)
「よっしぃですよね?!」
興奮した声で、鹿好きらしい隣人が某さんに尋ねます。そう、歓喜の中心にいたのは
背番号5だったのです。よく知ってる、あのボールの奪い方は好きだから…。



「よっしぃも、こんな時に決めなくてもいいのに……」



知っている、彼の名前は吉澤佑哉。私のお気に入りのボランチ。プレースキッカーの
山本拓弥くんと二人で声を出してチームを支えるそんな姿に、昨夏のJヴィレッジで
惹かれて呼んでいた名前が「鹿島のデュアルスピーカー」。その二人に…やられて。

横河戦では、後半、閉塞状況を打破するために、中盤の組み方を変え、船山くんを
中央に据える布陣に変えました。これがうまくいったと言えるかは、少なくとも
福地くんのスーパーミドルで勝ったという結果からは導き出せません…私は。

そして、今日はセンターに柳澤くんが入りました。「サイドへ寄るな!」―と
ベンチに怒られても、なんとかしなきゃという強い気持ちでボールを持つ彼は、
右サイドからゴールを中心にした弧を描きながら逆サイドへと移動する、
そんなドリブルを披露していたのです。中央突破もしかり。その動きを
形容するなら、これしかありません。4文字で―「玉田圭司」

レイソルは下部組織の育成としては「組織」よりも「個」を重視します。
柳澤くんと船山くんは、ジュニア時代から純粋培養された最高傑作です。
そんなこと分かってる?…でも、分かりきっていても、何度となく自分へ
そう言い聞かせねばならないのが現状なのです。柳澤くんは、時と共に
どんどん自分(というか自力)への傾斜を深めているように感じています。

柳澤くんをセンターに据えたことは…据えたのは誰だとは言いませんが…。

喜ぶアントイレブンとは対象的に、沈み込むレイソルイレブン。中でも、
今日を…その瞬間を限りとしてレイソルのユニフォームを脱がねばならぬと
ホイッスルによって宣告された遠藤くんや桜井くんは倒れこんだまま立ち上がれません。
石戸くんに起こされた遠藤くんは、山本くんたちとのシェイクハンド&ハグを
涙の乾かぬ顔でして、もうこれしかないからと駆けつけたらしいコアサポへも挨拶し、
すっと引き揚げていきました。試合後、Rさんとお話していた下を石戸くんと
柳澤くんがちらっと通り過ぎた(割と普通の顔で)んですが、ホペイロの
宮本さんに「3年生は(略)」と怒られていました。第2試合を見ながら、
着替えたイレブンは下に座ってジュビロvsレッズを見ていたのですが、
桜井くんはなかなか9番を脱がなかったし、遠藤くんは他選手よりも先に
姿を消したように見えました(柳澤くんはもう一人とスタンドに上がってきて
ちょっとドッキリでしたが…ま、それを言うなら2試合目で後ろに来た人が(以下略))

遠藤くんと、目が合ったんです。目にとまったのは、多分タオマフだと思いますが。

第2試合は、私的予想に反して―レッズの指揮官が予期していた展開になりました。
一部部品をやむを得ぬ事情で欠きながら精密機械のようなサッカーを志向する
ジュビロ、その中で須藤ジャパンの頃から見慣れた選手たちは、根っこの部分、
幹に至るまで変わってないんです。やはりプレーヤーの基礎はゴールデンエイジで
築かれるんでしょうか? そして、レッズの電光石火の得点(勝負を分けたのは
ジュビロの失点後再開のエアポケットをついた2点目―勝ち越し点だったと思います)で
自己修復力―それはメンタルの強さ―を失ったジュビロは、やられたい放題となります。

私はずっと、メンタルの強さや集中力は育成できるのか、疑問に思っていたのですが、
どうやらできるとサンフの監督(微苦笑)はおっしゃっているらしいです。





船山くんは国体決勝のように、やはり崩れ落ちてました。負けず嫌いなんですね。
でも福地くんや桐畑くん、最近やっと良さが分かってきた(遅)大島くんや
宮崎くんら下級生には、まだ次がありますし、新チームはすぐスタートだと思います。

そして、今日で引退となるはずの3年生。帰りの長い長い地下鉄乗車時間、
一生懸命考えた、想った、でも終了直後から今に至るまで涙は出ない、
もらい泣きはできなかった…それでも、2000年の1月に枯れ芝舞う千葉で
感じたのと似たような感情を覚えました。その傷の痛みが比較すれば鈍いのは、
私が、老いてしまったから…いろんなものを見てきているから、その慣れで。

慣れ? そうなのか? 思い入れの度合の差じゃ? ん? 刷り込みだから?







4年前、泣きながら、プロになって…違うユニフォームを着て活躍してくれるのを
信じてるし祈ってる、と叫んでいた相手は、私と“彼”が4年間でそれぞれの
紆余曲折を経た結果、全く予想だにしなかった形で“再会”しました。
それは決して楽しくも喜ばしくもない、ただ、自分の中に彼―山形恭平さんの
新しい像をしっかりと刻みつけられた(BSのアビスパ入れ替え戦ドキュメントは
録画してる“はず”なんですが未見)のは、あえて言葉を選べば“嬉しい”ことで、
そうやってずっとずっと私の中で、アナタに関する…フットボーラーとしての
活躍の“刺激”を与えてもらえたら、と思いました。勝手すぎますか?

いつか、あの青い腕章へ、夏に、あれを買った意味を忘れないためにも…失礼だとは
我ながらしっかり自覚できているけれども、サインを入れてもらうのが夢なんだ。





遠藤真仁―その名前を私に教えてくれたのは、隣で吉澤くんの決勝ゴールに
狂喜していた若鹿SB好きさんなんですよ。私は、いくら吉澤くんの得点でも、
さすがに今日は動画を見る気にはなれないのにね、全くひどい人だよ(微苦笑)



そんなわけで(どういうわけだ)来年こそは東城陽OFF改めミナツモOFFをやりましょう!










2004年レイソルユースU-18のみんな、今までお疲れ様でした。
そして、本当にありがとうございました(ぺこり)
今年はトップで辛いことがたくさんあったけど、
ユースのみんなはそれを癒してくれるとっても素敵な存在でした。
勝ったら喜ぶ、負けたら悔しがる、すごいプレーがあったら素直に楽しむ。
そんな当たり前の反応を当たり前のままでいさせてくれたみんなに、本当、感謝してます。
3年生も2年生も1年生も、みんな、ずっとサッカー好きでいてくださいね!


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