Land of Riches


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 2004年02月21日(土)   Lack of Reysol 

結局、昨日一番心待ちにしていたものは遅延のようです…。

床上げして日立台行ってきました。U-14の新人戦。Sさんにまた「寝てろよ」と
怒られてしまいそうですが…週末になんとなく(別に今回は“なんとなく”ではなく、
手帳にこの試合があることはきっちり先週から書いてあったのですが)日立台へ
自転車こいで行くと、黄黒のユニ着た子達がボールを追い回している風景がある、
それを見るだけで元気がもらえる気がするのです。黄黒ならなんでもいいのか、と
自分を問いただしたくもなりますが―母集団を物差しとして、所属する人を
定義するのは一番嫌いなので。会社の名前で人間の価値は決まらないでしょ?
(だから私とあなたは会話が噛み合わないんだよ、M嬢。価値観が違うから)

まあ、なんでもいいからといっても、野球場で試合をしてたジュニアの子よりは
U-14をチョイスしてしまうという嗜好傾向は確かにあるんですけど。考えたら、
私が心待ちにしているトップの連中だって、今日コンサと試合したら、
この街へ帰ってくるんですけどね。会いに行くの辛いけどさ…超個人的に(苦笑)

※以下の記述は熱で脳が沸いている人が見たものなので、信じると損します、きっと。
(こう書くことが免罪符になるとは決して思ってはいませんが…一応)

例によって例のごとく、冒頭数分遅刻しまして、その間に点が入ったらしく
相手の三井千葉SCのGKが「もう1点取ろうぜ」と言ってました(自爆)

自転車を降りて最初に視認したのが、#20がCBをやっているということ。
それで喜んだり、彼が中盤まで少し攻めあがった時にドキドキワクワクするあたり、
私は#20―つまりトップでその番号を背負う人=永田さんの特色をそういう風に
認識しているんだと再確認できる、クラブユースは同じユニフォームを着るから
対象選手に対する知識が皆無でも、イメージがオーバーラップすることが
多々あって、逆に番号に対して抱くイメージ(=その番号をつけている
トップ選手の印象)を再確認できるのは、一つの効能だと思います。

そんなことを考えていたら、98年のJユースカップ決勝で“エンジの7番”を
見ながら相馬さんを重ねていたのを思い出しました。まあ、その7番というのが
今となっては根本裕一という選手なのは、間違いなく認知できているのですが。
まさか、その選手が後に足を向けて眠れない存在になるとは…人生は不思議です。

Hさんから、U-14は【量産型福地+輪湖】という説明をもらっていたのですが、
あまりそうだとは思いませんでした。ユースの福地くんはケガがちなのか、
それほどプレーを見る機会に恵まれず、断言するのもはばかられるんですけど
良くも悪くも堅実なボランチ(トップで言うなら明神さんチック)という
イメージが私の中にあって―ただし中学の頃はそういうスタイルではなかったと
三種ウォッチャーの人に聞いたことがある―それに比すると、何か違う、と。

輪湖くんはすぐに分かりました。左サイドの背番号7、青いベロのNIKEを
履いた少年―なぜ分かったかといえば、プレーがどうこうではなくて、
彼がボールを持つと、周囲が何かスイッチが入ったようにワコワコ呼ぶから。
何か条件反射なのかと思うぐらい(苦笑)おそらく、輪湖くんのボールを
持った後のプレーに…視野に声をかけさせるだけのものがあるのだと思います。

#20くんは途中でオウンゴール(に見えた)してしまって、その後は声が出なくなり、
やっぱりそういう状況で声を出して説得力があるかどうか…という、私にとって
忘れられない記憶を呼び起こされました。日本サッカー史において、世界大会の
初戦でオウンゴールをしてしまった(それもキャプテンが)なんて、後にも先にも
もうないと信じたいのですが―大抵のことも、あれを思い起こすとマシだと
思えてきますから、今でも。私は彼を想起させるエンジ色を無意識的に
回避する超ダメ人間になってしまったのですが…すみません、脱線しすぎました。

#3と#20のCBが#5と#15のコンビになってから、ガラッと変わりました。#5は、
PUMAを履きめちゃくちゃ背が高いと、これまた何かの嫌がらせですか、と
苦笑いしたくなるような外見で、#15は大きくないんですが、ガラガラ声で
終始叫び手を叩き続けていて…私、丹羽さんと出会って以降初めて、丹羽さんを
髣髴とさせるようなCBと会いました。試合後の挨拶まで、これは本物だって
思いながら見てました。すごい吸引力―自分のペースへ周囲を巻き込む力、
これはパッサーがよく持っているのですが、彼は声出しにおいて周りをひきずるのです。

多分、彼が先発してたら布陣は書けたと思います(微笑)ツートップは#9と
#11、3点取ったっぽい#11は浜嶋淳郎くんです。二列目左は#7輪湖直樹くん、
右は#10太田徹郎くん。ボランチは#13菅野(かんの)哲也くんと#12服部健大くん。
先発ボランチの#4は山中真(しん)くん。バックラインは両サイド左の#19と
#17がよく思い出せない(というか、このフォーメーション組み方自体が
動きの記憶と合わないので絶対間違っている…ダメすぎ)のですが、CBは
#15と#5村田修斗くん。GKは…あれ?(大汗)後半途中で二度、二人ずつ
代えているのですが、全体が把握できるようなったのは最後だけですよ…。

#9も#11もゴールした時の弾道はすごい綺麗で…ああ、やっぱりみんなうまいよね、と
今更なことを思いました。U-13を先週見に行った時、他チームの子が
「名門・柏レイソル」という言葉を口にしていて、妙な気分でしたが。
まあ、布陣を一生懸命メモしていらっしゃった方がいたから、適当でよしとしましょう(撲殺)

にしても、酒井コーチはなぜいつも試合を忘れさせるような仕草するんだろう…(遠い目)

昨夜は夜遅くまでMさんが“日記で読者を意識すること”に関する、私の
無限ループっぽい愚痴に付き合ってくださり(本当にありがとうございました。
私の分身が口にした礼は、私の想いそのものです)私は趣味においても
“遊び”ができない―何事にも真剣になってしまう性格だな、と改めて
自分が嫌になってしまいそうでしたが、やはり何かを読む側としては、
悪い悪いと指摘する文を読むのは気分が良くなく(それがたとえ事実に対する
的確な表現であったとしても)良い点を教えるような内容の方が快いのが
当然で、ZEPHYRへ載せたレポでは自分でもそれを意識してやってましたが、
LRでは心理記録という建前を振りかざしてとんでもないことを書いてないか、とも
思いました。それでいて、人目を気にしすぎると、心の中身を整理して片付ける
LRの本来の目的からはずれてしまうわけで、バランスが難しいのです。
綺麗なことばかり考えているような美しい心だったら、問題ないのですが(苦笑)

何のために声を出すか―自己表現。やる気をアピール…違う、コーチングは
周囲を自分の思い通りへ近づけるための手段。聡太さんの言葉は、幅を広げると
こうやって何かを書くことにも当てはまるわけで、人間はそれぞれ別個の個体を持ち、
同じもの(たとえば試合)を眺めていても、目の焦点が合う先は違うし、
見たものから抱く感想は、もっとずれます。それでも、自分と同じ感覚を
持つ人へ叫びたくて、あるいはそれに近づけたくて(聞いてもらって、
同意してもらいたくて)叫びまくり、逆に、合わない人を拒むのです。

個体差という、私を死に至る病=絶望へ叩き落した眼前たる現実、私という
人生を生きるのは私しかいなくて、私と同じ感覚で何かを感じられるのは
この世で自分ひとりしかいないという宿命―それでいて人は独りでは生きられず、
もう何度となくこのLRへ綴った真実は、それでもなお、承知の上でレポートという
文章を書く行為、情報を発信する責任は何かと我へ問いかけてくるのです。

電波とアンテナは、一方的な関係です(もちろん分かってましたよ>Rさん。
それを多義語と解釈する私の直観というか経験が、むしろ汚れているのです)
ただ、こんな駄文を読んで、何らかの感情(好意的であれ反発であれ)を
抱く人がいるのなら、LRはパスとしての意味を持つのかもしれません。

名波さんがよく言ってました。パスは通らなければ意味がないのだと。
相手の足元まで至って、初めてパスと呼べるのです。スペースを見つけたからと
そこへ鬼のようにボールを繰り出すのは、受け手へ情報収集の労苦を強いているのと
同じわけで、誰かへ読ませるのが目的ならば、受け手へのメッセージを
こめねばなりません。LRは、そういう風に見れば、自分から自分へのパス、
まるで菊地さんが清商時代にしていたような、自分が前へ(ゴール方向へ)
進むためのワンターンなのです。自分を省みるというわけで。まあ、こうやって
何もかもサッカーにたとえるというゴスペラーズばりの文を書いている時点で
物書きとしてはダメな気がしますけど。だから、私は菊地さんのように
自分自身を厳しく冷静に見据えて、全ての状況を見極めた上で、ボールを
操りたいのです。私にとってのボールは、言葉・語彙・文章ですけど。

…何が言いたいかさっぱり分からないと自分で感じる文が他人へ伝わるでしょうか?(苦笑)

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

本当はU-19の日韓戦が見たかったんです。でも、韓国で中継されているのも
U-23の日韓戦だったので、諦めてそれを見てました。30分遅れの録画中継無視して。

苛立つのは、画面がモザイクがかっているからじゃなくて、試合全体が見えないから。
いきなりシュートを放ったのが闘莉王だった、というのは映像から読み取れても、
そこへ至る過程が全く分からないのです。ボールだけ追いかけていても、
がん細胞にも近い性質をも秘めた組織体である現U-23は分からないのです。

A代表よりはマシだ、という評価が間違っているとは思いません。A代表よりも
はらはらしながら見てました。流れるボール、サイドから中への切り崩し。

個々のプレーに対し、展開される試合に対し、負の感情を抱くのは、私が、
単に私が、継続性を求めているから―Numberの、U-23の歴史をたどるという
石川直宏さんの記事には、5枚の布陣図が出てきます。理性は2枚目のアジア大会から、
感性もとい感傷は1枚目のアルゼンチン大会からの連続性を求めているのです。
でも、現在進行形で試合をしているのは明らかに5枚目のイラン戦の代表
(右サイド隼磨→ナオ以外は同じ)であって、1〜4枚目の代表ではないのです。

現五輪代表は、今年の1月に立ち上がったばかりのチーム。それは事実です。
それを正視し黙認できないから腹が立つのです。1月から始まったチームと思えば、
胸にうずく感情の大半はデリートできました。水に浮かぶ11枚の葉が動き回り、
その動きをテレビでは把握しきれないと怒るだけで、水面下に何が沈んでいるか、
それを考えることに意味を見出そうとする…持とうとするから後ろ向きになるのです。

どれだけムービングフットボールについて語っても、アルゼンチンでの3試合、
オーストラリア戦・アンゴラ戦・チェコ戦で全てが両断されるように、
U-23の過去をどう論じどう評しようと、現時点では“無意味”なのです。
無意味という意味を持つのではなく、意味がないのです、正確には。

もうたどってきた道をああだこうだいう時ではない、と自分へ言い聞かせました。
決戦はそこだし、挑む人員も絞られました。勝たなければ意味がない、
予選を突破しなければしょうがない。それを上回る概念などありえませんから。

とりあえず今夜は財布のヒモぶっちぎって焼肉だ! こっちで肉焼くの初めてだ!


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