Land of Riches


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 2003年10月28日(火)   心眼 

結構前から買おうかどうか迷っていたトルマリンゴの購入に踏み切りました。
いや、2回目なんですけど(苦笑)不思議なもので、部屋の空気が澄んだ「気がする」んです。
アロマキャンドル燃やした時もそうなんですけど。製造元のサイトにある原理の
説明を読むと、実に怪しいものだとは思うのですが、やっぱり気分が大事なんで。
だから、この商品のポイントはメカニズム云々ではなく、色と形だと思う私。

…騙されてみます?(笑)

使用経験者として間違いなく断言できるのは、効くかどうかか分からないけれど、
長く放置すると(中身が干乾びるのか、それとも心が?)効かなくなるという点ですね。

日曜にようやく眼鏡を買いました。やはりコンタクトでは1日過ごせないので。
職場でも家でもノートパソコン―目との距離が近い分他よりたちの悪いマシン―と
向かい合う私は視力が下がり続ける定めのようで(OAワークによる視力の低下は4
0代でも50代でもあるそうです)壊れた眼鏡は度が合わないと言い続けていたのですが、
当然ながらメガネの補正が悪化するわけではなく、私の目が近視に最適化されるだけ。
ノートパソコンは、特に目から画面が近いから。柳澤くんや吉澤くんぐらいの年齢だと
(我ながらどういう表現だ)ピントを合わせる筋肉に柔軟性があって、遠くを見る時と
近くを見る時で最適化を繰り返すことができるのですが、私のように年老いてしまうと
近くを見ることにどんどん傾斜していったら元へは戻らないそうです。そんなこんなで
眼鏡屋さんと新しい眼鏡の度をどういう風に合わせるか(OAワークを続ける限りは
度が合わなくなったもので十分…遠くを見ないのだから。遠くも見られるようにすると
レンズがきつくなるわけで、目にかかる負担は近くを見るにしても増す)かなり長く
話し合った末に、0.5あげるとサッカー観戦でも十分な視力を確保できるのですが、
それを諦め、0.25だけあげることにしました。そしてできたレンズで見ているこの画面、
実はちょっと頭が痛かったりします。コンタクトははめかえなんて言ってられませんが、
眼鏡は見るものに応じてチョイスするのが理想だそうです。貧乏人には無理ですが。

近頃の私は、地下街で押し寄せてくる人波を見ると足が竦みそうになります。
カボチャの大軍が歩いてくるとでも思い込ませないとダメみたいです。自分が、
他の誰でもない自分なのが気持ち悪くなるのです。視界に映る全ての人が他人だなんて。
当たり前なんですけどね。そして、何より時が流れていくこと、それに自分が
流されていくことを拒否しています。訪れる未来(近い未来は確信が持てず、
遠い未来は恐怖でしかない)が嫌なのもありますが、過去へ固執しているのも一因です。

昨日読んでいたポエムに、想い出は淋しさの別の名前、というフレーズがあって、
うまいなあと思いました。学生の頃は、戻りたい時代とか、あの頃はよかったって
言える時代が、他の人たちと違って全くなかったんですけど、今の私には、
戻りたい時がありますから。その時の記憶に固執して…変わっていくのを拒んでいるのです。

人からもらった物を使わずにしまいこむのは悪癖だと言われますが、物が使用によって
汚れ破損していくことで、もらったという記憶(出来事)が壊れてしまうのを
恐れているのです。使わなければ形は変わらない、もらった時のまま。

悪しき思いは、悪しきことしか生まない。


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