Land of Riches


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 2003年09月09日(火)   人は人を見る時どこを見るか? 

8/20、私は鹿嶋から逃げ出すように日立台へ向かった。

…と昨夜アップしておいて、そういえば20日、何のために上京したのか、書いてないのに
気づきました。ほとんど話してもいませんね、周りにも。それくらい…忘れたいと。
なかったことにしたいと。あれほど待ちわびていた日なのに―羽田さんの1日店長。

昨日、2001年2月のLRを読み返して、J-STEPにいた当時の私の気持ちを反芻してみましたが、
やはりあの頃は現在とは比べ物にならない憔悴していましたし、それは確かですけど、
あの気持ちのコアの部分は今でもあるとも思いました。不安も、そして、想う気持ちも。

いまだに私は、全く知らない人が、ちょっとした書き込みで彼の名前をふっと出すだけで
過剰に、過敏に反応して、切なくなれるのです。そりゃあ、あの頃、周囲をずたぼろにしても
暴走し続けたほどではないけど、それでも、今の、応援する対象をなくした私からすれば、
十分に異常なリアクションで。彼が市船のキャプテンだった「像」を持たないのは、
今の私にとっては救いでしょう。増嶋くん(つくづく、私が彼に一目惚れした5月合宿では
立ち上げとあって、さすがの彼もおとなしかっただけなのだと再確認させられます)を
正視できなくなるのは辛いです。これから、どういう関係になるか分かりませんが。
…私、まだ市船のユニフォームを着ている彼を見たことがなかったのですよ、写真ですら。
正確には「(おそらく見てるけど)認知できてない」だけだと思われますが。

脱線しすぎました。予定の時間を10分過ぎようかという頃、サンダル履きでロビーへ
現れた彼の顔を見た瞬間、悲しくなりました。4月にピアノで聡太さんを見た時の
衝撃とはまた違う…日立台で悲しくなったのは、それが見たことのない聡太さんだったから。
羽田さんは、1年前と同じような顔をしていたんです。同じような…でも、陰の濃い。

サインの順番を待ちながら、ぼんやりと思いました。1年前もほぼ同じ状況で、
2年前は、私は行ってないけど、初ゴールの絶頂から叩き落とされたばかりで、
つまり、店長の日が巡るたびに、絶望の年輪が刻まれて。FREAKSへ載った頃は
まだ光が射していたけれど、その顔ですら、あの頃―私が狂っていた当時とは違うのです。

目が死んでる。

何をしても―贈り物をこしらえても、手紙に思いつく限りの言葉を並べても、
ありきたりでしかない励ましの声をかけても、何も変わらないような、無力感。
…実際、何一つとて変わりはしないのだし。
だから、ある意味で、アテネという地名を持ち出せる人は、私よりずっと強くて、
羨ましくも思えるのですが、とにかく、私はどうしていいのか分からないのです。
何がベストか、ベターか。判断できません。気が遠くなるような約10分間を経て、
私は正午前にはクラブハウスを離れてました。それこそ、逃げ出すように。

八重洲地下街のスタバで(バッテリー切れの携帯とSさんとの待ち合わせすら放置して)
事前はとうとう用意できなかった手紙を書きながら、むしろ自分自身へ落ち込みつつ、
それでも、せっかくHNまで入れてもらった、買わなければいけないような思いに囚われて
衝動買いした14番シャツを着て、鹿島戦へ行くしかないのだと自分へ言い聞かせました。
本当、分からないのです。分からない、何も。こうやって書いている自分が正気なのかすら。

あの日は、練習自体もダッシュとランニングのみで、特筆すべきはエジプトでは
派手な金髪だったはずの野沢さんが一気に漆黒へ戻して、スタンドの一部からも
ざわめきが起こっていたことくらい。代表不在でも宇宙通信センターで10人以上の
ギャルが一緒に降りて、もう世の中どうなってしまっているんだとは思いましたが。

ランニング中の本山さんと親しげに声を交わしていたスーツのお兄さんがいると思ったら、
声をかけられ、茨城新聞の記者さんだと分かりました。シドニー五輪の直前に
私も載ったことのある、写真付き応援メッセージの取材。あの頃は写真や実名が
嫌だった、でも今は全然違う、西京極で打ちのめされた私には、アントラーズへ
贈れる言葉なんて何一つない、紛れもない真実の前に、断るしかありませんした。

3年前、私は誇らしげに本山雅志の魅力を語った―その記憶が、今となっては痛くて。
今では本山さんは、私が好きになった頃とは正反対の形容を冠せられる人。
決して嫌いになったわけじゃない、でも、お互い変わりすぎたんです。

変わってしまったことへの嘆き、変わっていかないことへの哀しみ。
通っていた頃だって、2ヶ月に一度。今は1ヶ月に一度、“あそこ”へ行く…。

1日1日積み上げてきた土台は、自分にも、誰にも、壊しはできない。
たとえ、1日1日がどんなに薄い紙だとしても、決して。

…最近、雑誌を買いすぎです。近頃のサッカー雑誌なんて、海外組と代表の話題
(それもピントずれ気味)だらけでおもしろくないと分かっているのですが、
頭では分かっているのですが、それは裏を返すと、代表へ復帰したり海外へ移籍すると
途端に扱いが増えるということで、お陰様で今週もラテラル特集に引っかかりました。
昼休みに衝動買いして、午後2時前にはそれを悔やんだりする有り様ですが(苦笑)
サイドバックは好きだったポジション。だからこそ、私なりの定義があって、
それにぴたっと該当する選手が最近少なくて、切ないのです。ねえ市川さん。

あと、今の自分を変える第一歩として、引っ越したい街の地図を買ってきました。
携帯でお部屋情報を見て、どこにあるのか、すぐに分かるように。地理勘が欲しくて。
もっとも、免許がなく、しかも駅のすぐ近くにしか住んだ経験のない私に
“安さと引き換えの悪条件”が耐えられるかは、はなはだ疑問なのですが。

仕事と部屋、どっちもまだネットで検索して、こんなのがあるのか、と思う段階ですけど、
(ぶっちゃけ、ちゃんとした社員になるには“痛勤”を覚悟せねばならないようです)
願望では片付けまい、と本屋で「原因と結果の法則」(だったか? うろ覚え)を
立ち読みして密かに燃えています。今まで…アスリートを見始めてからずっと、
“非日常”は日常からはるか乖離した先にあったのですけど、それが、日常の
すぐ隣にあったらどうだろう、私のことだから醒めてしまうのだろうか、と
これまた無意味な…けれど、平坦な毎日においては、それなりに心躍る考えを巡らせてます。

…ああ、でも今、地図を見ながら記憶を掘り起こしていたら、駅から歩いて15分以上かかる
(しかも暗い夜道)便利でもない場所に棲んでいたこともあったな、と思い出しました。
そうやって考えていくと、私は目先の何かのためなら全てを捨てられますね。ははは。


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