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 2002年12月31日(火)   地元贔屓 

高校選手権が昨日開幕しました。今大会は藤枝東が負けた時点で生観戦を放棄したので
(東福岡がいいのは分かっているんですけど、応援に駆けつけるほど思い入れが…)
テレビオンリーなのですが、ご存知の通り、選手権は地元高校の中継が優先なので
今日は岡崎城西vs広島皆実しか見られません。岐阜工vs東福岡(2回戦)が見られるのは
嬉しいんですが。地元密着はJが目指す理念でもあり、どのクラブも地元では愛されてほしいと
願っています。ただ、全ての人が地元チームを応援する義務はないとも思っています。
だから、マスメディアの肩入れは好きではないのです(苦笑)アウェイファンの
ひがみかもしれないんですけど。もっとも選手権の存在自体がマスコミ(というか
日テレ系)のヨイショがなければ危ういのは間違いないのですが。
野洲が見たいです。レイソル内定154cmの中井くんがというか―長居への道中、野洲駅に
(京都方面から米原方面への新快速は30分に1本が直通で、15分おきに野洲行きが
挟まるので、嫌でもヤスという地名は認識してしまいます)横断幕がかかっていて、
なんとなくいいな、と思ったので。一応、公式というか建て前(自爆)の今大会
イチ押しプレーヤーは市船の大久保キャプテンです。市船はいい滑り出しですね。

◇2002年忘れられないサッカー関連の出来事TOP3◇
さて、お約束の発表です。まずは復習。

▼2000年
第3位:9人合同運営によるユース代表応援サイト「SeeTheSky」開設
第2位:1週間サッカー漬けの“ソツキ”
第1位:アントラーズと順天堂大学の練習試合…後

▼2001年
第3位:1stステージ・名古屋グランパス vs 鹿島アントラーズ
第2位:チャンピオンシップ・ジュビロ磐田 vs 鹿島アントラーズ
第1位:羽田憲司選手、ワールドユース直前に骨折!!

いずれも今となっては遠く霞んだ記憶―だって2002年はあまりに長かったから!
上半期と下半期が同じ年の出来事とは思えなかった、というのが総括です。

第3位:ワールドカップ、日本代表予選リーグ突破
これが3位なんですか、と自分でも首をひねりたくなる良心はあります(苦笑)
常識的に考えたら、国内サッカーが好きならコレが1位だろって思うのですが…。
ちなみに変な表記になっているのは、チュニジア戦を意識しているからです。
これも普通じゃないですね。普通はロシア戦の初勝利とかベルギー戦の隆行さん
同点ゴールでしょうね。要するにそれだけ市川オンリーだったということです。

4年前の私は、高校生の少年が代表へ入り込む余地はなかったんだと思っていました。
時流に翻弄された少年はナイジェリアワールドユースをオーバートレーニング症候群で
欠場を余儀なくされ、この辺から彼を巡る状況と彼に対する私の認識が変わってきます。
正直、ワールドカップ代表の23人で市川さんを特に応援するという姿勢は、意図的に
作ったものであり、ベルギー戦での念願の出場、そしてチュニジア戦のアシスト
(2002年マイベスト)でここまで喜べるのか、ともどこかで感じていたぐらいでした。
そして、彼に対する気持ちは大会後、エスパルスでの境遇を見て更に変化しました。
上を見る眼差し、そのための環境を求める気持ち…市川さんは来年も変わっていくでしょう。

第2位:高校選手権3回戦、東福岡/静学
ぶっちゃけ2位は永田さんなんですが、永田さんの何を取り上げればいいのか、自分でも
よく分かりません。以前30の質問で書いたように、私はいまだに彼のどこへ惹かれるのか
分からないのです。角田サマはその魅力を説明するのに困ったりはしないのですけれど。
永田さんを語る上では、藤枝での初観戦以降の空振り連発も外せないのですが、それは
私が秘めたマイナスエナジーの問題(全国の野沢&本山ファンの皆様へ改めて謝罪(笑))なので。

山形辰徳さんがアルビでつかみ取ったステップアップも嬉しかったことですが、
とにかく駒沢で静学の3番“赤のキャプテンでCB”に目がいったという事実、いや
心理変化が私の下半期を完璧に狂わせた(=レイソルの結果最優先。今年のベスト
ゴールは他を差し置いてリーグ最終戦での宇野沢さんの一発だったり)こと、それは
2002年を締めくくるには不可欠な要素なのです。手元に今では幻の一品と化した
静学赤ユニ永田フォトがありますけど、緑への拒絶反応を偶然で回避しているあたりも
もはや運命としかいいようがないものがあり―ミョンボの後継者という肩書きさえ
永田さんを永田さんとして認識するのを邪魔します。私には永田充がよく見えません。

…だから、世界に飛躍するだろう2003年も見続けて、らしさを探したいのです。
しかし、永田ファンでも年俸1100万は太っ腹にも程があると思うのですけれど。謎。

第1位:新横浜駅新幹線改札での遭遇
8月末、新生大熊U-19JAPANの初合宿が行われました。Jクラブとの4連戦―しかし、
初日は羽田さん一日店長を優先したため観戦ならず、2日目はサブメンバーを起用したため
お目当ての面々はランニング姿しか見られず、挙げ句出待ちをしていると茂木さん“ら”が
タクシーで帰っていくではないですか。2nd開幕に備えた離脱組を把握できなかった私は
新横浜駅で茂木さんを捕まえて聞いてみよう、という作戦を練りました。時刻表を
調べると、広島行きは私が新横浜駅へ到着したと同時に行ってしまったっぽかったのですが、
それでもホームの端から端まで茂木さんを求めてさまよいました。何故茂木さんか、
彼は認識する自信があったのです…逆に言えば、他の選手はできる自信がなかったのです。

下りホームを2往復して、待合室をのぞいて、諦めて改札を抜けようとした、まさにその時。
“何者か”が改札を抜けて入ってきました。ヴィトンのバッグを持ち、週刊マガジンを
キオスクで買った彼は下りホームへ上がっていきます。エスカレーター近くの柱へ
もたれかかり、おもむろに足を組んでマガジンを読み始める彼。今思い起こすと、
彼はピッチの外ですら、たたえている空気が違うのです。しばらく見ていた私は
思い立って声をかけました。一番選手へかけてはいけない言葉を。
カクダマコトサンデスカ?

もともと合宿では彼が見たくて、彼の離脱を確認したかったのです。しかし、そこに
いる彼が全てを物語っていて、何も聞く必要はなかったのですが、私はそこで彼に
離脱者のリスト(ちなみに馬場さん以外は正確だったのに私は信じなかったのです。
永田さんはまだこの頃レイソルに必要とされていなかったのは、今思うと感慨深いです)を
確認し、逃げるように去りました。速攻で彼の所属チームの日程を調べ、ロッピーで
チケットを確保し。とうとう見ることができた彼はどこまでも堂々としていて。

大悟さんと角田さんは似てます(苦笑)でも8月末時点の私は似ているその顔すら
分かっていなかったのです。その後、テレビと生観戦で角田サマの魅力は十二分に
理解したつもりの私、でも、原点は新横浜で感じた雰囲気の違いのような気がするのです。
新幹線のホームは現実世界の一端としては比較的シビアな色をしている(平日夜は
とにかくリーマンが多い)と思いますけど、同じような装束の人々の中にあっても
体つきだけでなく、浮き上がるオーラを帯びているのです。もう長く厳しい世界で
戦いを勝ち抜いてきた者のような、強さ。確立した自己。

結局U-19が好きだったのですね(微苦笑)この代表には感情移入しないと、ずっと
思っていたのですけれど―人間どうなるか分かりません。成岡くんや菊地くんを求め
静岡予選に行く、これも予想外の事態です。西村JAPANへの思い入れともまた違う、
この気持ちがワールドユースでどこへ行くか、それが2003年の最初の注目点でしょう。
その後は五輪予選でしょうか。もちろん、土台としてのJも忘れずに。

心は移ろえど、現在は過去の産物ゆえ、我を我とたらしめるものは、変わらず。


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