橋本裕の日記
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2008年03月02日(日) 静かならざる日々

第二章 暑さの残り(4)

 神岡の家に来ると、夏でも冬でも、英子がいつもすき焼きをごちそうしてくれる。30年以上前にこの家に初めて来たとき、「何が好きですか」と英子に聞かれて、「すき焼きです」と答えてから、いつもすき焼きということになった。

とくに信夫は牛肉の味がしみついた細いこんにゃくが好きだ。英子はそれを知っていて、たくさん入れてくれる。それを生卵につけてつるつると蕎麦でも食べるようにして吸い込む。

牛肉よりもこんにゃくが好きだというのだから、信夫も少し変わっている。これは金沢で過ごした学生時代の貧乏な自炊生活のなごりらしい。その頃はすき焼きといっても牛肉はほとんどなくて、ただ出汁のために使っていた。その出汁のしみついたこんにゃくが一番うまかったわけだ。

すき焼き鍋を皆で囲むのも久しぶりだった。昔は神岡夫婦と信夫、それから静子と春江だったが、今は静子にかわって典子、純也がいる。もっとも乳飲み子の純也はまだすき焼きは食べることができない。春江の膝に抱かれて、きょとんとしていた。

信夫は飲めない口だったが、英子の酌で日本酒の熱燗をお猪口に数杯飲んだ。それだけでもう顔がほてってきた。信夫が英子に杯を返して、「どう、一杯?」とすすめた。「それじゃ、一杯だけね」と英子が受けた。英子は少しふっくらとしていた。笑うとえくぼができる。

このやわらかい優しさと、ほのぼのとした色気が、死んだ静子にはなかった。愛嬌もなかったし、女性としての魅力がなかった。表情の変化が乏しく、ぶっきら棒な印象さえした。

信夫は何人かの女性とお見合いのようなことをしながら、決断できずにぐずぐずしていた。そして結局相手に断られた。ところが、静子の場合は、信夫は早く決断し、その意志を神岡に伝えた。そのとき神岡は、「ほんとうに静子でいいのか」と言った。「どうしてそんなことを訊くのだ」と信夫が真顔で聞き返すと、「お前はもっと面食いかと思った」と笑った。

「そうでもない。やはり性格がいいのが一番だ」
「静子が性格がよいとは限らないぞ」
「それもそうだが、やはり彼女に決めたよ」

 信夫は教師になったくらいだから学問は苦手ではなかったし、スポーツもそれなりにできた。高校生の頃から科学や哲学の本を読むことも好きだった。しかし神経質で潔癖症のうえ、他人の気持をおもいやったり、推し量ったりすることが苦手だった。

信夫はそんな偏屈な男のところに来てくれる女性はいるわけはないとあきらめていた。だから静子にも当然断られるだろうと思っていた。ところが、神岡を通して申し込んだ結婚のプロポーズを、静子はこころよく受けてくれた。これは信夫にとってありがたい誤算だった。

どうして静子が受けてくれたのか不思議なくらいだったが、神岡によると、信夫の一番の美点は、「世事にうとく、まっすぐで、融通がきかない」ところだという。これでは褒められているのかどうか分からなかったが、神岡に言われるとそうしたことが自分の美点のように思われるから不思議だった。

たしかに、欠点はそのまま裏返せば美点になることが多い。融通がきかないというのも、まじめで曲がったことが嫌いだということになる。信夫はたしかに人を騙そうと思ったり、いじわるをしたりしたことはない。

そして星の世界のことを考えたり、数学の勉強に精を出す。ただまじめにこつこつと、努力を重ねていく生き方しかできない。そうした生き方は、どこか中世の隠者めいていて、少なくとも現代的とはいえないが、神岡によると、静子もそんな信夫に好感をもったようだという。

世間知らずの信夫が結婚して子どもを設け、30年以上教師をしていたのだから、考えてみればよくやった方である。静子とはかならずしも良好とはいえなかったが、それでもうちとけて冗談を言い合ったことがなかったわけではない。

信夫がこの数十年間を振り返り、そんな感慨にふけっていると、神岡が「春江ちゃんもどうだ」と、春江の方に杯を差し出した。「じゃあ、一杯だけ」と、春江も受け取って一口のみ、「ああ、おいしい」と眼を細めている。

「春江ちゃんは誰に似たのかな。かなりいける口だぞ」と、神岡は次を注ごうとして、「むりに勧めてはいけません」と英子にたしなめられた。こうして久しぶりの賑やかな団欒になった。信夫は久しぶりに春江の楽しそうな笑顔を見て、なんだかうれしかった。

そのあと、みんなで近所の池のある公園に夕涼みに行った。もう九月の中旬で、夕涼みの季節ではなかったが、神岡がお昼に近所のスーパーで売れ残りの花火を買ってきたのだという。それを池のほとりのベンチの前でみんなで楽しんだ。

最後の線香花火が終わると、英子や春江は子どもたちを連れて家に帰った。信夫と神岡はもうしばらくベンチで休んでいくことにした。神岡がタバコを吸いながら、夜空を眺めて話し出した。

「お前がいつか言っていただろう。近くの星でも地球まで光が届くには何年もかかる。遠い星は何千万年、何億年とかかるってね」
「うん」
「そうすると、俺たちが見ている星も、それぞれ違った過去の姿で見えているわけだな」
「まあ、そうだ」
「おれは今、そのことに気づいたんだ」
「そうか」
「そうすると、この夜空には過去の時間がいっぱいつまっているわけだ」

信夫は「過去の時間がいっぱいつまっている」という神岡の表現が面白いと思った。信夫は夜空を眺めていて、そんな風に考えたことがなかった。「さすがに国語の先生だな」と感心した。

信夫にとってあたりまえのことが、神岡にとってとんでもない発見だったりする。たとえば光が電磁波だということも神岡は知らなかった。「光は波長の短い電波だ」というと、「えっ、光は電波なのか」と驚いたりする。

あたりまえと思っていたことも、「面白いなあ」と神岡に言われると、信夫も「そういえば、面白いなあ」と思う。そして自然界の出来事について、もっと深く考えてみたくなる。そういう不思議な触媒のような愉快な一面が神岡にあった。今も、神岡はたばこをふかし、星を見ながら、何か考えごとをしていた。しかし考えていることは、もう星の世界のことではなかった。

「俺の家の隣が空いているだろう。20年前にお前たちが出て行ってから、年寄り夫婦が暮らしていたが、そのうち奥さん先になくなって、そのあとご主人も食が細くなってなくなったんだ」
「いまは空き家になったわけだ」
「去年の暮れからね」

 結局4軒並んでいる借家で、人が入っているのは神岡が住んでいる家ともう1軒だけになった。その一軒はどこかの会社が社宅として借りているらしく、3年おきくらいにめまぐるしく住人が変わっている。そんな話をした後、神岡は思いがけないことを言った。

「じつは、春江ちゃんが、こっちへ引っ越してきたいというんだ」
「そうか」
「お前もこっちに引っ越してこないか」

この提案は唐突だったが、言われてみれば悪い話ではない。春江と二人の孫を抱え、これから先の生活を考えて、信夫は戸惑っていた。神岡夫婦が隣に住んでいれば、どれほど心強いことだろう。しかし、そうすると今住んでいる一宮の家をどうするかという問題が起こってくる。結論を出すには、もう少し時間が必要だった。

二人が公園から帰ってくると、春江が純也を湯に入れていた。湯殿の戸が開いて、「お願いします」と春江がバスタオルに包んだ純也を差し出した。英子がそれを受け取って、居間に運んできた。

信夫が見守る中で、英子は純也の体を拭き、下着を着せた。信夫はふと、静子が生きていたら、おなじようにしていたに違いないと思った。そして英子の肩越しに純也が生えかけた前歯を見せながら笑っているのを眺めていた。


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