橋本裕の日記
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2008年02月25日(月) 数の発見

 以前、「0の発見」というテーマで日記を書いたことがあるが、よく考えてみれば、「0の発見」の前に「1の発見」や「2の発見」があったはずである。私たちがあたりまえのように使っている「数」も、はじめからこの世に存在したわけではない。

 高校時代に「数とは何か」「なぜ1+1は2になるのか」という疑問をもった。そしてバートランド・ラッセルの「数理哲学序説」を読み、この疑問が荒唐無稽なものではなく、人間の知性にとって本質的な問題だと気づかされた。ラッセルは次のように書いている。

<ひとつがいのキジも、二日という日数も、ともに2という数字の実例であることを発見するまでには、いくつもの時代を経たに違いない>

 いま三人の男と3匹の犬がいたとしよう。この二つの違ったグループに共通する特性の一つに、私たちは「3」という数を与える。これは基本的にものごとを抽象化して捉えるという言語能力の一部である。

 つまり、「数」というものがはじめから宇宙に存在したものではなく、それは私たちの知性による高度な抽象化の産物であり、「言語」とともに人間が作り出したもっとも貴重な文化財のひとつであるということだ。

私たちは当たり前のように「鶏が三羽いる」などと言う。しかし、「数を数える」という能力を獲得するまでには、先史時代からつづく人類の気の遠くなるような歩みがなければならなかった。じつのところ、なんでもなく数を思い浮かべ、これを頭の中で足したり引いたりできることじたい、とてもすばらしいことである。

私たちが学ぶ「数学」もまた、こうした「数」や「図形」を研究することで発達してきた。しかしどんな高度な数学も、人類が何世代もかかってなしとげた「数の発見」という大事業の前には色あせてしまう。なにもフェルマーの定理を証明することだけが数学ではない。私たちは誰もがもっているこのすばらしい能力にもっと感嘆してもよいのではないか。


橋本裕 |MAILHomePage

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