橋本裕の日記
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2008年02月21日(木) 脱学校のすすめ

一昨日、妻を誘って喫茶店に行った。そこで「週刊現代3/1号」を読むと、大前研一さんの「グーグル時代を生き抜く“脱学校” の教育術」という文章に眼が留まった。こんなことが書いてある。

<授業で先生が教えてくれるような知識は、いまやパソコンや携帯でグーグル検索すれば一発でわかるから、わざわざ学校に行く必要はないのです。さらに、それらを暗記するだけの勉強をやっても、グーグル時代を生き抜くビジネスマンになれません>

なるほどと思う。私もよくグーグル検索をする。そうすると、必要な知識はたいがい得られる。学校へ行って魚(知識)を売ってもらわなくても、検索という釣竿(知識を得る道具)さえあれば、必要な情報をいつでもインターネットの海から吊り上げることができる。便利な時代になったものだ。

知識を暗記する勉強ではなく、その知識をいかに自分で獲得するか、そしてそれをいかに活用できる人間になるかがこれからは大切なのだろう。今日の学校教育がこうした社会の変化に対応できているようには思えない。その意味で、大前研一さんの説く「脱学校の教育術」に賛成である。もう少し引用してみよう。

<いまは「答えのない時代」です。新しい発想で新しいアイデアを生み出せる人間しか生き残れないから、未知の領域に立たされたとき、自分の頭で考えて、問題解決できる人材でないとメシを食っていけない。だから子供には、学校の勉強ができるよりも、将来どうやってメシを食っていくかを常に考えさせるし、親として一緒に考えてあげることが大切なのです>

大前研一さんの二人の息子さんは、二人とも大学を中退したが、一人は会社を経営し、もう一人もゲームソフトの会社で若いながら課長としてたくましく働いているという。将来どうやってメシを食っていくかを常に考えさせる大前さんの教育術が成功したということだろう。

ビジネスの世界では「新しい発想で新しいアイデアを生み出せる人間しか生き残れない」という厳しい現実がある。もちろんすべての人間がビジネスマンになるわけではないので、「問題解決できる人材でないとメシを食っていけない」というわけではない。また、そういう社会であってはならないと思う。

私たちは将来メシを食べるためだけに学校に行くのではない。教養を深め人間性をたかめて、社会性や協調性も身につけなければならない。グーグル検索ができることよりももっと大切なことがある。それは他人を思いやり、社会のことを考える公共心である。ただ金が儲かればよいというのではなく、もう少し次元の高い価値観を持つことは、ビジネスの現場においても大切なことである。

もっともいまの学校が市民社会に生きる人間になるためのゆたかな人格形成の場になっているかというと、大いに疑問である。そこで行われていることは、知識獲得の点取り競争である。文科省の主導する知識重視の学力テストが、こうした傾向を加速させていくに違いない。

これからの時代を生きる子供たちにとって、柔軟な思考力に支えられた問題解決能力はますます重要なものになっていく。自由な思考力や感性を養いたいと思ったら、文科省がおしつける窮屈な既製服のような学校教育などに頼らないで、一人ひとりが「脱学校の教育術」を模索して、「たくましく生きる力」を養成したほうがよいのかも知れない。


橋本裕 |MAILHomePage

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