橋本裕の日記
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2007年06月27日(水) 気持を伝える

 私たちは自分の気持を「ことば」にして相手に伝える。たとえば私が散歩から帰り、「夕日がきれいだったよ」と妻に声をかけたとしよう。このとき、妻は私の言葉を聞いて、美しい夕日のイメージを自分の心の中に再現するだろう。これを図式で表せば、次のようになる。

   私のイメージ→言葉→妻のイメージ

 つまり、言葉を媒介にして、私が心に抱いたイメージや感情が妻の心の中に移されるわけだ。もっとも、この転換はかなり自由に、おおまかに行われる。私のイメージがそのまま妻のイメージに重なるわけではない。私の言葉によって妻の心の中に喚起されたイメージや感情は、私のものと同じものではない。

 しかし、私と妻とは何度も一緒に木曽川を散歩し、夕日を眺めている。こうした共有体験の積み重ねがあるので、私と妻の場合は、そのイメージがかなり似通っている可能性はある。

 日盛りに蝶のふれ合ふ音すなり  (松瀬青々)

 この俳句を読んで、私は青い空へと登っていく二羽の白い蝶を思い浮かべる。それが空中でかろやかにたわむれあっている。「蝶のふれ合ふ音すなり」が秀逸である。昼下がりの明るい静寂が聞こえてくるような、初夏のすがすがしい光景だ。多くの読者も、おなじような光景をイメージし、そのさわやかな美しさに魅了されるのではないだろうか。

 優れた俳句や文学作品は、私たちの心の中に鮮烈なイメージや感情を喚起してくれる。もちろんその感情は、作者が体験したものとは微妙に違っている。読者はそれぞれに自分の人生経験のなかで他者の言葉や体験を受け止めるからだ。作者もまたそのことを知っていて、慎重に言葉を選び、この世の片隅にささやかな感動の小宇宙をつくりあげる。

(今日の一首)

 手水鉢蛙があそび月宿る
 虫の鳴くねもあはれなるかな


橋本裕 |MAILHomePage

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