橋本裕の日記
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| 2007年02月02日(金) |
英語をファイナライズ(2) |
セブに行くまえに、英語を集中的に勉強した。大学受験用の英語の参考書を買って、文法を復習したり、英単語の本も何冊か買って暗記した。また数週間は、英語で日記も書いた。しかし、知識を詰め込んでみても、英語が口からでてこない。セブの英語学校に行って驚いたことは、私より少ないボキャブラリーしかなくて、しかも文法もよくわからないというA子が、機関銃のように英語を連射していることだった。
そして、「なぜ、私は英語が話せないのか」と考えた。そして、「知識の量」ではなく、もっと本質的な問題だと思い至った。それは、英語には日本語とは違った「英語の発想」があるということだ。英語の知識を頭に詰め込んでも、日本語で発想していては、英語は話すことができない。書いたり話したりしても、それは形だけで、心のこもらない借り物の英語でしかない。
つまり私が英語を話せないのは、「日本語」のせいである。私の頭の基本OSが日本語であり、その土台の上に、さまざまなアプリケーションが動いている。残念ながら「英語」というアプリケーションは日本語というオペレーティング・システムとは相性が悪いのではないか。
英語 ====== 日本語
しかし日本人である私たちは、いやおうなく「日本語」という基本OSに縛られている。この日本語の呪縛を逃れることはできるのだろうか。この問題について私はこう考えた。それは、できないことではない。いや、方法さえ間違わなければ、必ずできるはずだ。
そのために必要なことは何か。それは日本語自身を相対化することである。日本語よりもさらに根本的な言語システムを発見し、日本語をその基本システムの上で働く一つのアプリケーションにするわけだ。そして、英語もこの基本OSの上で直接動かすようにすればよい。
日本語 英語 −−−−−−−−−−ー 言語基本システム
英語を使える形にするために、この言語基本システムを見出すわけだ。そうすれば、この基本システムによって、英語を「ファイナライズ」することができる。それでは、英語のみならず、日本語をも動かすその土台となる基本システムとは如何なるものか。そんな便利なものが実際にあるのか。このことについて、次に書いてみよう。(続く)
(今日の一首)
身を寄せてプラットフォームで電車待つ 少女の息もかぼそく白し
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