橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2006年09月05日(火) お調子人間とメランコ人間

 精神病の理論によると、現代人が直面する精神病には、二つのタイプがある。ひとつが「分裂症」であり、もう一つは「躁うつ病」である。

 フロイトによれば「うつ病」は人間の内的な罪悪感が病的な形であらわれたものである。自分が他人を傷つけていないか、悪いことをして他人に迷惑をかけているのではないかとしきりに気にする。

 また、自分がどこか悪いのではないかと心身のことが異様に気になる。つまり、うつ病患者は自分に関したことで不安を募らせ、様々な妄想をいだく。

 これに対して、「分裂症患者」は周囲の世界のことで不安を募らせる。大地が崩壊するのではないかとか、宇宙人が攻めてくるのではないかという妄想で、いたたまれなくなる。

 和田秀樹さんによると、正常人でも心の世界が、分裂病的であるか躁うつ病的かのどちらかに分かれるという。自分のことが気になり、罪悪感をいだくタイプの人は、うつ病タイプである。

 これに対して、子供が交通事故にあうのではないかとか、テロが起こったらどうしようと考え、見知らぬ人が近づくと不安になり、飛行機に乗ることも気が進まないというのは、分裂症タイプである。和田さんの「自己愛の構造」から引用しよう。

<正常レベルの分裂病型人間であるシゾフレ人間は、自分の意志よりみんなにどう思われているかのほうを気にする。自分の好みより周囲に合わせるし、自分だけ頑張って目立つより、みんなとおなじだと安心なのだ。こういう人たちは、自力本願というより他力本願の傾向が強いし、悪いことがあると、人のせいにしたり、運や出会いのなさをなげく。逆にメランコ人間は、自分が頑張って、駄目なら自分が悪いと落ち込む。

 私がみるところ、メランコ人間は、自己の欲動で動き、それにたいする罪悪感と自己の内的葛藤に苦しむ罪責人間に、シゾフレ人間は周囲の反応性にふりまわされ、それが思わしいものでないときに悲劇の世界に入り込む、悲劇人間に対応するものである。(略)

 現代の若者たちの広く浅く、また自分の世界に引きこもりがちな対人関係パターンがシゾフレの特徴である。彼らは不特定多数の出席するパーティなどを好むが、特定の他者と飲み交わす二次会、三次会は好まない。二次会があっても騒がしいカラオケで歌いまくるだろうが、自分たちの本音をみせようとはしないのである。

 それにたいしてメランコ人間であれば、親分子分のようなしがらみを作ったり、本音丸出しで飲み明かすというのが人間関係の基本である>

 シゾフレ人間は、相手の言葉を被害的に受け取ったり、逆に他者を崇拝して神を求め、小室哲也やビートたけしのようなカリスマに惹きつけられる。思想が飛躍しやすく、神懸かりな神秘世界にやすやすと入っていく。私はシゾレフ人間を「お調子人間」と呼んでいる。

 お調子人間(シゾフレ人間)は、テレビやマスコミの意見に容易に染まってしまい、自分の意見や趣向をもたない。またたとえ持ったにしても、それは「借り物」である。周囲の状況が変われば、自分の主張も容易に変える。つまり、「自分がない」のである。

 メランコ人間は神を求めない。何事も自分にひきつけて論理的にこつこつと考える。カリスマ的存在にはむしろ嫌悪感をさえ抱く。神秘的で空想的な世界には興味を持たず、現実的なものにしか多く目を向けようとしない。

 そして自己のアイデンティティを重視し、頑固に主張を変えない。自分で作った自分に対する秩序にしばられて身動きができなることさえある。お調子人間(シゾフレ人間)のように環境にあわせて容易に自分をかえることができず、時代に取り残されやすい。

 メランコ人間は過去にしばられ、自己にしばられる。これに対して、お調子人間(シゾフレ人間)は過去に縛られない。彼にとって意味があるのは、<今>でしかないからだ。過去との一貫性を気にし、くよくよ思い悩んだりはしない。

 さて、ここまで書いてきて、自分はどちらのタイプかなと考えてみた。多少シゾフレ人間的な要素もないではないが、おそらく典型的なメランコ人間だろうと思われる。

 変化の多い現代は必然的にシゾフレ人間をつくりだす。自己を捨て、身軽になったほうが生きやすいからだ。彼らはフリーターとしても生きることができる。メランコ人間のようにリストラに合った途端、自分を見失い、落ち込んで自殺をすることもないだろう。

 しかし、自己を捨てた代償もまた大きい。生きているという実感や、生の喜びさえも何か借り物のように感じられる。そればかりではなく、シゾフレ人間は自分をもたない分、他者に支配されやすい。

 やがて他者によって自己が断片化し、自己を持たない廃人として、悲劇的人生を終えることになるかも知れない。いずれにせよ、この世は自己を持ち続けても苦しく、その重々しい自己を捨てても淋しい。とかくこの世は生きにくい。


橋本裕 |MAILHomePage

My追加