橋本裕の日記
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2006年08月25日(金) 小泉首相の靖国参拝

 8月15日、小泉首相は公約通り、靖国神社に参拝した。現職首相としては中曽根康弘氏以来21年振りである。毎日新聞の調査だと、小泉首相のこの靖国参拝を、約半分の国民が支持しているという。小泉首相は就任当時80パーセントを越える国民が支持した。現在も支持率は50パーセント台を維持している。

 どうしてこう支持率が高いのか。それはマスコミを使った世論操作がうまいからだろう。その典型が「自民党をぶっこわす」とか、「構造改革なくして景気回復なし」という庶民にもわかりやすいワンフレーズ・ポリティックスだ。また、たくみに抵抗勢力を作りだし、これを叩くことで庶民の喝采を博してきた。去年の9月に衆議院を解散して郵政民営化法案を通したときも、この手法を使って大成功した。

 ハンチントンは「文明の衝突」の中で、「外に敵を作れば、国はまとまる」と書いている。ポピュリズム政治家が支持率を拡大するために使うパフォーマンスの常套手段が「外に敵を作る」ということだ。たしかにこれで自国はまとまり、政権は安定するが、しかしその代償も大きい。それは外交上の失点が大きくなるからだ。小泉首相の場合も中国や韓国を敵に廻し、安保常任理事国入りという大魚を逃した。「ハンチントンの罠」に落ちたわけだ。

 小泉首相は「なぜ、靖国に行くのか」という問に対して、「中国や韓国が反対するから、参拝に行ってはいけないのか」と開き直る。しかし、この開き直りはおかしい。「反対するから行くな」というのではない。「なぜ反対するのか」をもう少し考えるべきだろう。それは靖国にA級戦犯が祀られているからだ。

 先の戦争について言えば、小泉首相はこれが日本の侵略戦争であることを認めている。いわゆる「村山談話」を踏襲し、過去の日本の行為を謝罪し、A級戦犯の罪を国会で認めた。また、中国の盧溝橋にある「中国人民抗日戦争記念館」を訪れ、日本政府首脳としては初めて中国の戦争犠牲者に献花し、黙とうを捧げた。彼は「いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます」という首相書簡を出している。

 しかし、こうしたさまざまな地道な努力も、「靖国参拝」によってすべて否定されてしまった。これは小泉首相にとって不本意なことかもしれないが、それも結局は小泉首相の歴史認識が足りないからだろう。日本が行った侵略戦争について、本当に反省していれば、現職首相として8月15日に靖国神社に参拝するということはできなかったはずである。

 先の戦争について、中国も韓国も日本国民には罪はなかったという寛容な立場をとった。天皇も含めて、一般国民は日本軍国主義の犠牲者だったという立場である。そのかわり、一部の軍事指導者、とくに戦争の最高指導者である「A級戦犯」については、厳しい処置を求めた。東京裁判はこうした視点に立って裁かれている。

 たしかに天皇や一般国民に戦争責任はないのか。東条英機を代表とするA級戦犯にすべての罪を被せて、国民は被害者とばかり頬カムリをきめこんでよいのかという疑問は残る。この意味で、私もまた東京裁判の戦争観には疑問を持っている。しかし、これによって、A級戦犯の戦争責雄が免責されるわけではない。

 A級戦犯を靖国神社に祀り、日本の首相がこれに参拝するということは、戦争被害を受けた国々からすれば、A級戦犯の免責としか映らないことはあきらかだ。すでに天皇が免責され、一般国民が免責されている以上、これでは戦争責任を引き受ける者はだれもいなくなる。これは先の戦争は侵略戦争ではなく、自衛のための戦争だという戦争観そのものの変更にもつながりかねない。

 小泉首相は「中国や韓国が反対するから行かないのか」とひらき開き直ったが、中国や韓国ばかりではなく、国内にも首相の靖国神社参拝に反対する声があることを考慮すべきだ。そして何故反対しているのかを熟慮し、それでも参拝が必要だというのなら、しかるべき見解を明らかにすべきだろう。小泉首相は自らの意志で選択した行動を国民にわかりやすく説明する政治責任がある。


橋本裕 |MAILHomePage

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