橋本裕の日記
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| 2006年02月24日(金) |
巨大な債務は返済されない |
ナチスが台頭した原因についてよく言われるのは、戦勝国がつきつけた過酷な賠償金の存在だ。私もこれによって引き起こされた第一次大戦後のドイツの経済的混乱と、それが及ぼしたドイツ国民の心理的屈辱感を重視している。
1919年に締結されたベルサイユ条約で、ドイツは海外植民地をすべて取り上げられたあげく、貨幣と現物による巨額の賠償金を、イギリス、フランス、ベルギーなど戦勝国に支払うように命じられた。
ところが戦後疲弊していたドイツはこれを履行できなかった。戦勝国はふたたび1921年ににロンドンで再び会議を開いて、今度は1320億金マルク(たんなるマルク紙幣ではなく、金の裏付けつき)という巨額の賠償金を最後通牒つきで要求してきた。
ドイツにはこれも履行できなかった。そうすると、フランスは1923年1月、すかさず石炭が豊富なドイツ・ルール地方を軍事占領した。
ドイツ政府はルール地方の人々に対して、労働放棄というフランスへの消極的抵抗を訴えた。しかしこれにともなう収入減を国費で補填する必要があり、さらなる財政ピンチにみまわれた。これを解消するために、ドイツ政府はマルク紙幣を大量に印刷した。
そうすると紙幣の価値がさがり、猛烈なインフレになった。1922年の夏から年末までに物価が20倍になり、1923年になると、月ごとに物価が20倍、200倍、1000倍になった。
1923年はじめには250マルクで買えたパンが、年末には3990億マルクもした。町には失業者があふれ、1923年には75万にいた失業者が、1930年には300万人にまでふくれあがった。
ナチスが台頭した背景に、こうした前代未聞の生活破壊があり、ドイツ国民の精神破壊があったわけだ。そして結局ドイツは賠償金を支払うことなく、第二次大戦に突入していった。
第二次大戦後、戦勝国がドイツや日本に過酷な賠償金を要求せず、経済復興に手をさしのべたのは、こうした第一次大戦の反省も踏まえられていた。
歴史的にみるならば、「巨大な債務は返済されることはない」というのが真実だ。ドイツはこのことを当事者として知っているわけだが、日本はこの点の認識が薄いのではないだろうか。日本はアメリカをはじめ外国に巨額の債権をもっているが、これを回収することはなかなかむつかしいようだ。
(参考文献) 「黒字亡国」 三國陽夫 文春新書
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