橋本裕の日記
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2005年06月09日(木) 靖国のうれひはふかし

 1978年にA級戦犯が靖国神社に合祀された。この経緯について、当時神社宮司だった松平永芳氏が文藝春秋社発行「諸君」(1992年12月号)に『「靖國」奉仕十四年の無念』と題して書いている。

<いわゆるA級戦犯合祀のことですが、私は就任前から、「すべて日本が悪い」という東京裁判史観を否定しないかぎり、日本の精神復興はできないと考えておりました。それで、就任早々書類や総代会議事録を調べますと、合祀は既定のこと、ただその時期が宮司預りとなっていたんですね。

 私の就任したのは五十三年七月で、十月には、年に一度の合祀祭がある。合祀するときは、昔は上奏してご裁可をいただいたのですが、今でも慣習によって上奏簿を御所へもっていく。そういう書類をつくる関係があるので、九月の少し前でしたが、「まだ間にあうか」と係に間いたところ、大丈夫だという。それならと千数百柱をお祀りした中に、思いきって、十四柱をお入れしたわけです。

 巣鴨で絞首刑になられた東条英機(元首相・陸軍大将)、板垣征四郎、土肥原賢二、松井石根、木村兵太郎(以上、陸軍大将)、武藤章(陸軍中将)、広田広穀(元首相)の七柱。それに囚われの身や、未決のままで亡くなられた梅津美治郎(陸軍大将)、小磯国昭(元首相・陸軍大将)、永野修身(元帥海軍大将)、平沼騏一郎(元首相)、松岡洋右(元外相)、東郷茂徳(元外相)、白鳥敏夫(元駐イタリア大使)とあわせて十四柱。・・・
    
『昨晩、新しい御霊を千七百六十六柱、御本殿に合祀申し上げました。この中に』−−ここを、前の晩、ずいぶん考えたんです。「東条英機命以下...」というと刺激が強すぎる。戦犯遺族で結成している「白菊会」という集りがありますので−−『祀るべくして今日まで合祀申し上げなかった、白菊会に関係おありになる十四柱の御霊もその中に含まれております』

 そういうご挨拶をしたんです。すると、白菊会の会長である木村兵太郎夫人が、外に出てくる私を待っていらして、「今日は寝耳に水で、私が生きているうちに合祀されるとは思わなかった」と非常に喜ばれた。

 それから半月後に、十四柱のご遺族すべてに、昇殿・参拝いただきたいという通知を出し、お揃いでご参拝いただいたと、こういう経過でございます。そのころは、新間は知らなかったのか、一切騒ぎませんでした。半年後の春季例大祭の直前に、大平クリスチャン首相の参拝と抱き合わせで、いわゆるA級合祀をマスコミが大々的に取り上げ、大騒ぎいたしました>

 戦前の合祀手続きは陸海軍大臣から天皇に上奏され、「裁可」を経ていた。しかし、この松平永芳元宮司の文章によると、戦後についても、天皇に上奏簿が提出されてたことがわかる。

 そうすると、戦犯の合祀もまた昭和天皇の「裁可」を得ていたのだろうか。これについて、国際ジャーナリストの浅井久仁臣が、「私の視点」に「靖国問題−昭和天皇と東条の確執」と題して次のように書いている。

<私は文献や資料を読み漁る内、「靖国神社正式参拝関係年表」を見ていて重大な発見をした。敗戦直後から毎年ではないものの数年置きに靖国神社を参拝(正式には「御親拝」というそうな)していた昭和天皇が、A級戦犯合祀が行なわれる1978年の3年前に参拝して以来、靖国に踏み入れていないのだ。

 そこから色々調べてみると、靖国への合祀には天皇への「上奏(天皇への事情説明)」が必要なのに、靖国側はその手順を取っておらず、合祀を巡って天皇と靖国の間に確執があった事が浮かび上がってきた。

 まず、靖国神社の合祀の手続きについてだが、
1.厚生省(現厚生労働省)引揚援護局が回付した戦没者カードによって合祀者と合祀基準(靖国神社作成)とを照合、「祭神名票」を靖国に送る。
2.靖国神社は「霊璽簿」に氏名を記入、遺族にその旨を通知する。
3.例大祭(年2回)の前夜に合祀の儀式を行なう。
 という順序で行なわれる。

 ところが、A級戦犯に関しては、2番の途中で行なうはずの天皇への上奏が行なわれなかったのだ。そして、14人のA級戦犯が秘密裡に合祀された。

 つまり、「天皇の神社」として明治時代に作られ、敗戦によってその形態は変わったにせよ今もなお「天皇制」を精神的支柱としている靖国神社が、天皇を裏切ってA級戦犯を合祀したのだ。

 恐らく靖国側とすれば、昭和天皇の「東条嫌い」を知っていただけに、上奏すれば反対されると踏んだのだろう。だが、これは右翼や民族主義者にとっては聞き捨てならない話のはずだ。別にけしかけるわけではないが、右翼がなぜこのことを荒立てなかったか未だもって不思議だ>

「昭和天皇独白録」を読むと、昭和天皇は東条はじめ戦争指導者たちに対して、「ヒトラーに買収されたのではないか」とまで、ずいぶん厳しい批判をしている。A級戦犯に関して天皇への上奏が行われたにしても、これを許すとはとうてい考えられない。A級戦犯の合祀は松平永芳の独断専行であった可能性が大きい。しかし、靖国神社にとって、その代償も大きかった。

 このとしのこの日にもまた靖国の
 みやしろのことうれひはふかし

 これは1986年8月15日に昭和天皇が詠まれた歌である。昭和天皇はついにA級戦犯の合祀された靖国神社を訪れることなく生涯を終えられた。A級戦犯が合祀されている限り、現在の天皇が靖国神社を参拝することもないだろう。

(参考サイト)
http://homepage.mac.com/credo99/public_html/8.15/tono.html

http://www.nozomu.net/journal/000150.php


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