橋本裕の日記
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広島原爆の被爆作家として知られる原民喜(1905〜1951)が世を去って、もう半世紀がたった。彼は妻に先立たれ、千葉から兄の住む広島市幟町へ疎開中に被爆した。そしてその被爆体験をとおして、人間の実存を問い続けた作家・詩人である。
今度「青空文庫」に「原民喜プロジェクト」ができた。代表作「夏の花」、「心願の国」などをはじめ、今では書店で入手難の作品を含めた37作品を無料で読むことができるというので、さっそく覗いてみた。
夏の野に幻の破片きらめけり 炎の樹雷雨の空に舞ひ上る 日の暑さ死臭に満てる百日紅 重傷者来て飲む清水生温く 梯子にゐる屍もあり雲の峰 水をのみ死にゆく少女蝉の声 人の肩に爪立てて死す夏の月 魂呆けて川にかがめり月見草 廃虚すぎて蜻蛉の群を眺めやる
「原子爆弾」からの引用である。「夏の花3部作」の一つ、「壊滅の序曲」は原爆投下の数日前の広島の生活を写している。その中で主人公が、「馬鹿馬鹿しいきはみだ。日本の軍隊はただ形式に陶酔してゐるだけだ」とつぶやく。
<「何だと!」と教官の声だけが満場にききとれた。「一度も予習に出なかつたくせにして、今朝だけ出るつもりか」 教官はじろじろ彼を眺めてゐたが、 「裸になれ!」と大喝した。さう云はれて、相手はおづおづと釦を外しだした。が、教官はいよいよ猛つて来た。 「裸になるとは、かうするのだ」と、相手をぐんぐん運動場の正面に引張つて来ると、くるりと後向きにさせて、パツと相手の襯衣を剥ぎとつた。すると青緑色の靄が立罩めた薄暗い光線の中に、瘡蓋だらけの醜い背中が露出された。 「これが絶対安静を要した躯なのか」と、教官は次の動作に移るため一寸間を置いた。 「不心得者!」この声と同時にピシリと鉄拳が閃いた。と、その時、校庭にあるサイレンが警戒警報の唸りを放ちだした。その、もの哀しげな太い響は、この光景にさらに凄惨な趣を加へるやうであつた。やがてサイレンが歇むと、教官は自分の演じた効果に大分満足したらしく、 「今から、この男を憲兵隊へ起訴してやる」と一同に宣言し、それから、はじめて出発を命じるのであつた。……一同が西練兵場へ差しかかると、雨がぽちぽち落ちだした。荒々しい歩調の音が堀に添つて進んだ。その堀の向が西部二部隊であつたが、仄暗い緑の堤にいま躑躅の花が血のやうに咲乱れてゐるのが、ふと正三の眼に留まつた>「壊滅の序曲」
<西練兵場寄りの空地に、見憶えのある、黄色の、半ずぼんの死体を、次兄はちらりと見つけた。そして彼は馬車を降りて行つた。嫂も私もつづいて馬車を離れ、そこへ集つた。見憶えのあるずぼんに、まぎれもないバンドを締めてゐる。死体は甥の文彦であつた。上着は無く、胸のあたりに拳大の腫れものがあり、そこから液体が流れてゐる。真黒くなつた顔に、白い歯が微かに見え、投出した両手の指は固く、内側に握り締め、爪が喰込んでゐた。その側に中学生の屍体が一つ、それから又離れたところに、若い女の死体が一つ、いづれも、ある姿勢のまま硬直してゐた。次兄は文彦の爪を剥ぎ、バンドを形見にとり、名札をつけて、そこを立去つた。涙も乾きはてた遭遇であつた>「夏の花」
1951年3月13日午後11時30分ころ、東京の西荻窪を発車した電車が一人の男を巻き込み50メートルほど引きずって止まった。その男の身元はやがて原民喜だと分かった。こうして彼は自らを「原子爆弾の一撃からこの地上に新しく墜落してきた人間」と規定し、「夏の花」「廃墟から」「破滅の序曲」三部作をはじめ、「原爆以後」「美しき死の岸に」などの小説や詩などを残して、46歳の若さでこの世を去った。
下宿には「心願の国」の原稿と、17通の遺書があった。その中の1通は、一人の少女にあてたものだった。 「とうとう僕は雲雀になって消えて行きます」 「私は歩み去らう 今こそ消え去って行きたいのだ 透明のなかに 永遠のなかに」 自殺の原因は核兵器が支配する世界への深い絶望からだと言われている。彼は今、広島市中区東白島町・円光寺に静かに眠っている。
原爆小景〜コレガ人間ナノデス
コレガ人間ナノデス 原子爆彈ニ依ル變化ヲゴラン下サイ 肉體ガ恐ロシク膨張シ 男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル オオ ソノ眞黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ 爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ來ル聲ハ 「助ケテ下サイ」 ト カ細イ 靜カナ言葉 コレガ コレガ人間ナノデス 人間ノ顔ナノデス
悪夢のような戦争は終わった。この戦争を終わらせたのがこれまた悪夢のような「原子爆弾」である。この数日間、原民喜の作品を読み返しながら、「もうこんな愚かしい、悲惨なことはやめにしたい」とつくづく思った。そのためにも、原民喜の体験した地獄から、目を背けてはならないと思う。人類に対する絶望を、希望へと変えていく努力を続けたいものだ。
(参考) 「原民喜プロジェクト」(青空文庫) http://www.sumomo.sakura.ne.jp/~aozora/tamiki/tamiki_index.html
<今日の一句> 夏の花 今年も咲けり 原爆忌 裕
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