橋本裕の日記
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昨年11月に司法制度改革推進法が成立した。改革の基本方針は次の3点である。 (1)裁判の迅速化 (2)法曹人口の増加 (3)国民の司法参加 いまは小泉首相を本部長とする推進本部が中心となり、法律案を検討している。3年以内の改革実現を目指すのだという。
ここで、とくに目玉と言われたのが、「国民の司法参加」である。民主主義の条件の一つとして、国民の司法参加は避けられない。なぜなら、「社会の規範となる倫理を市民が作る」といことは、市民の政治参加と並んで、民主政治の大きな柱だからだ。例えばアメリカではこの理念のもとに「陪審制」が行われている。
わが国の場合、導入が検討されているのは、「「裁判員制(参審制)」のようだ。これは国民から選ばれた裁判員が、裁判官とともに裁判に参加して、事実認定や量刑判断をする制度である。国民だけで有罪、無罪を決める「陪審制」とは違い、国民と裁判官が対等な立場で評決を下すというものだ。
陪審制にくらべて、裁判員制(参審制)はより穏健である。裁判員がプロの裁判官に混じって、独自の主張を展開できるのか、疑問なしとはしない。しかし、たとえ裁判員制でも、これが実現すれば、日本の閉ざされた司法制度に、大きな風穴があくことになるだろう。
裁判官は、とかく市民感覚や常識に欠けると批判されている。市民が参加すれば、より血の通った判決が可能だろうし、また裁判に参加することで国民の司法意識も高まるだろう。プロの観点とは違った市民感覚で法律を眺めることも大切である。ひいてはそれが法律の改革にもつながる。とかく保守的で時代にマッチしない司法制度を革新する力にもなるだろう。
一刻も早い実現がまたれるところだが、ここへきて雲行きがあやしくなってきた。目玉であった「司法への市民参加」が見送られる公算が大きくなってきた。小泉首相のかかげた「司法改革」もまた、が「政治改革」どうように、たんなるかけ声だけに終わりそうなのである。
「司法参加」が外されるのは、時期尚早ということらしい。委員の中からは、「日本の民主主義はまだそこまで成熟していない」「自分の意見をもたず、自己表現も十分にできない多くの市民に裁判はむりだ」という声があいついだという。こうした市民蔑視の考え方が根底にあるかぎり、いつまでたっても改革はすすまない。水泳が出来ないからと言って、水を恐れていては、いつまでも泳ぐことはできない。ときには水に飛び込む勇気が必要だ。
<今日の一句> あさぼらけ 台風過ぎて 青い空 裕
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