橋本裕の日記
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2002年05月20日(月) ラッセルの幸福論

 高校時代に読んだ本のなかで、とくに印象に残った本の一冊に、ラッセルの「幸福論」がある。ただ印象に残ったというだけではなく、何かしら生き方の基本を教えられたようで、その後の私の人生に絶大な影響を与えた一冊である。

 先日、北さんと飲んで、この本のすばらしさを力説した。そうしたら、さっそく北さんは本を手に入れて、しっかりと読んでくれた。その感想を彼の掲示板で見ることが出来る。それを読んで、私自身も旧友に再会したような懐かしさを覚えた。北さんの雑記帳から、ラッセルの言葉を多数引用させていただく。

「現代生活では、重要な疲れの種類はつねに情緒的なものである。純粋に知的な疲れは、純粋に筋肉的な疲れと同様に、眠ることでおのずと取れてしまう」(第5章『疲れ』)

「文明人は、おのれの知能を拡大してきたように、いまや、心情を拡大しなければならない。自己を超越することを学び、そして自己を超越することで宇宙の自由を獲得することを学ばなければならない」(第6章『ねたみ』)

「根本的な幸福は、ほかの何にもまして人や物に対する友好的な関心とも言うべきものに依拠しているのである。人に対する友好的な関心は、愛情のひとつの形であるが、貪欲で、独占欲の強い、つねに強い反応を求める形は、そうではない。

 後者の形は、まま不幸の源になる。幸福に寄与する愛情は、人々を観察することを好み、その個々の特徴に喜びを見出すたぐいの愛情である。接触するようになった人々の興味や楽しみが十分に生かされる機会を与えたいと願うのみで、その人たちを左右する力を獲得したいとか、その人たちの熱烈な称賛を得たいとか願わないたぐいの愛情である。

 他人に対して真にこうした態度をとれる人は、幸福の源になるだろうし、相互的な親切の受け手にもなるだろう。・・・他の人には、腹立たしいほど神経にさわるような風変わりな癖でも、彼にとっては、ほのぼのとしたおかしみの種となるだろう。」(第10章『幸福はそれでも可能か』)

「不幸に見舞われたときによく耐えるためには、幸福なときに、ある程度広い興味を養っておくのが賢明である。そうすれば、現在を耐え難くしているのとは別の連想や感情を思いつかせてくれる静かな場所が、精神のために用意されるだろう」(第15章『私心のない興味』)

「賢人は、妨げうる不幸を座視することはしない一方、避けられない不幸に時間と感情を浪費することもしないだろう。また、それだけなら避けられるような不幸にみまわれたとしても、もしも、それを避けるのに必要な時間と労力がもっと重要な目的の追求を妨げるようであれば、進んでその不幸を甘受するだろう。多くの人々は、ささいなことでもうまくいかなければ、いつもじれたり怒ったりして、ために、もっと有益に使えるはずのエネルギーを多量にむだにしている。」(第16章『努力とあきらめ』)

「あなたが自己に没頭することをやめたならば、たちまち、本物の客観的な興味が芽生えてくる、と確信してよい。幸福な人生は、不思議なまでに、よい人生と同じである」(第17章『幸福な人』)

「幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人である。また、こういう興味と愛情を通して、そして今度は、それゆえに自分がほかの多くの人々の興味と愛情の対象にされるという事実を通して、幸福をしかとつかみとる人である。愛情の受け手になることは、幸福の強い原因である。しかし、愛情を要求する人は、愛情が与えられる人ではない。」(第17章『幸福な人』)

(参考文献) 「ラッセル幸福論」 ラッセル著、安藤貞雄訳、岩波文庫

<今日の一句> あてもなく 道をたどれば 青若葉  裕 


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