橋本裕の日記
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今日は父の命日である。1991年5月14日(火)14時5分が臨終だった。11年前の日記を開くと、5月12日(日)から5月19日(日)まで、一週間もとんでいる。実は父の死に引き続き、祖母まで死んで、私は日記を書く余裕がなかったのだ。5月19日の日記をまるごと引用する。
・・・・・・・・・1991年5月19日(日)の日記・・・・・・・・・
5月13日(月)の夜9時頃、福井の弟から、父が緊急入院したという報せを受け、福井に帰った。父は県立病院で昏睡状態だった。そして、時折呼吸困難に襲われていた。
翌朝6時頃、私はひとまず病院をあとにして、一宮の勤務先の高校へ行った。授業を終えて学校から帰ってくると、父永眠の電話があったことを妻より知らされる。14時5分に永眠とのこと。
さっそく一家で福井に帰った。仮通夜をすまし、翌15日夜7時より通夜、16日朝9時より、近所の帰命寺で葬儀。翌17日に納骨と初7日の法要をかねて丸岡町竹田の菩提寺に行く。
菩提寺で永代経を聴いている最中に、今度は祖母死去の報が届く。11時27分に永眠とのこと。その夜に祖母の仮通夜。翌18日に通夜。19日に葬儀と納骨をすませて福井から帰ってきた。
以上が、父と祖母の死去の顛末である。この二人がもうこの世にいないということが、いまだに信じられない。母のことを思う。合掌。
孫連れて父の来たりし公園の アカシア咲けり父亡き日にも
仮通夜に 花アカシアも 散りにけり
今は亡き父の写真を取りだして 掌をあわせている夜の寂寥
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11年前の出来事が、昨日のように浮かんでくる。肝硬変から肝臓癌を病んで、もう手の施しようのなかった父に、断末魔のけいれんが起きて、母が救急車を呼んだ。父は寝間着のまま母に抱きかかえられて、救急車まで歩いた。
近所の人が何事かと集まってくると、父は苦しい息の中で居住まいをただして、ていねいに礼をして、「ありがとう」とつぶやきながら、車に乗ったという。父のことを「古武士のようだ」といった人がいたが、いかにも父らしい最後だと思った。
<今日の一句> アカシアに 父を想へば 雨上がる 裕
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