橋本裕の日記
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北さんの雑記帳で、2Cギリシャの哲学者アリスティディス次のような「ローマ頌詞」を読んだ。塩野七生さんの「ローマ人の物語」第10巻「すべての道はローマに通ず」のなかに引用されている文章である
「かつて、ホメロスは謳った。大地はすべての人のものである、と。ローマは、詩人のこの夢を、現実にしたのである。あなた方ローマ人は、傘下に収めた土地のすべてを、測量し記録した。そしてその後で、河川には橋をかけ、平地はもちろんのこと山地にさえも街道を敷設し、帝国のどの地方に住まおうと、往き来が容易になるように整備したのである」
「しかもその上、帝国全域の安全のための防衛体制を確立し、人種がちがおうと民族が異なろうと、共に生きて行くに必要な法律を整備した。これらのことすべてによって、あなた方ローマ人は、ローマ市民でない人々にも、秩序ある安定した社会に生きることの重要さを教えたのであった」
アリスティディスの「ローマ頌詞」は、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」にも引用されていて、かなり有名な文章らしい。たとえばギボンは「過去を讃え、現在を貶すのが、人間の常であるとはいえ、帝国の繁栄と安泰は、ローマ市民ばかりでなく属州民たちも、強く感じており、正直にそれを告白している者もいる」と述べて、その一人としてアリスティディスのこの文章を引用している。
たしかにアリスティディスは、同時代人であり、属州民のギリシャ人でもあるが、しかし、ローマを評価するのにふさわしい証人かどうか問題である。なぜなら、彼は一般の属州民ではなく、やや特権的なギリシャの属州民であり、しかも「ローマ市民権」をもつ、特権階級の一人だからだ。
さらに、もう少しアリスティディスについて知り得たことを書いておこう。いずれもインターネットで検索した文章の引用である。
<2c前半のギリシャの哲学者。改宗してキリスト教護教家となる。140年頃、ロ−マ皇帝アントニウス・ピウスに『弁証論』(アポロギア:Apologia)を提出し、異教的生活とユダヤ教的生活の誤謬を指摘、神の概念を哲学的に規定してキリスト教の真理とキリスト教的な生活の意義深さを弁証した>
<「キリスト教大事典」で彼の項を見ると、彼の述べた四人種区分説は有名 であると言われている。 �〔酥攷佑浪佗�土水などの4要素を崇拝するが、 これらは被造物であって神ではない。 ��ギリシャ人は神々を崇拝するが、それらは背徳不倫の輩であって、 真の神ではない。 ��ユダヤ人の神観は純粋であるが、外的祭儀にのみとらわれがちである。 �ぅ�リスト者のみが《父・子・聖霊》の真の神、創造の神を礼拝する>
ちなみに属州民ではないが、生粋のローマ人でかつ元老院議員・執政官だった歴史家タキトゥスは、支配階級の最上に属していながら、もうすこし違ったローマの姿を伝えている。彼の著作から引用しておこう。
「全人類でローマ人だけが、自分の富と世界の貧窮を、同じ情熱で欲している。略奪し、殺戮し、強盗することを彼らは支配という偽りの名で呼び、人住まぬ荒野を作ると、そこを彼らは平和と名付ける。・・・われわれの最も愛する子どもや大切な肉親が、ローマが課した徴兵制度で奪われ、妻や姉妹は、彼らの情欲によって汚されている」(アグリコラ伝)
タキトゥスはローマによる平和について、「文明開化と呼ばれていたが、じつは奴隷化を示す一つの特色にしか過ぎなかった」となかなか自分の祖国に対して厳しい評価をしている。ほぼ同じ時代に生きたギリシャ人とローマ人が、ローマ帝国についてこのようなねじれた証言を残している。属州民であるギリシャ人がローマの偉大さをほめたたえ、ローマの知識人はむしろローマの繁栄に懐疑的なところが興味深い。
「ローマ市民たちよ。これまで外国人たちを統治するために我々が派遣した者たちの貪欲のゆえに、また彼らが加えた加害のゆえに、我々が外国人の間でいかに憎まれているか、言葉では言いあらわせない」
これはキケロが残した言葉である。こうした文章を読んでいると、歴史というものが、そう一筋縄でいかないものであることを実感させられる。残された歴史的文書を読む場合、どのような人物が、いつ、どこで、どのような目的で書いたものか、しっかり押さえておく必要がある。
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