橋本裕の日記
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| 2002年03月01日(金) |
メタフィジカル・モメント |
幼い頃の思い出をひとつ。早起きして、家の外に出た。夏のことで夜明けは早い。しばらくすると、すっかり明るくなり、朝刊配達や牛乳配達の人が往来を通る。みると烏が数羽、道端で餌をついばんでいる。
何でもない街の光景だったが、私は何かいい知れぬ快さを感じていた。啓示のように深く静かに心にしみてきて、そこはかとなく詩的で美しいものを、その早朝の空気の中に感じた。
高校生の頃、哲学の解説書を読んでいて、メタフィジカル・モメント(形而上学的瞬間)という言葉がどうしてもわからなかった。それがこの幼い頃の至福体験を思い出した瞬間に納得できた。
その頃だと思うが、国語の教科書でスタインペックの「朝食」という短編を読んだ。一人の旅人が、荒野で野営する家族に出会い、焚き火を囲んでコーヒーとトーストの朝食をごちそうになるという、ただそれだけの話だったが、私はこの時もメタフィジカル・モメントを実感した。さっそく感想文を書いて、国語の先生の自宅を訪ねた。そしてこの感動を熱く語ったものだ。
昔ギリシャに、デオゲネスという風変わりな哲学者がいた。樽をねぐらとし、無一物の境涯にありながら、とても幸福そうにしている。評判を聞いたアレクサンダー大王がやってきて、「何か欲しいものはないか」と聞いたら、「横にどいて、私に日光を下さい」と答えたという。
もうひとつ、こんな話。南海の国へ赴任した日本の商社マンが、怠惰な現地人を見て、「もうすこし勤勉に働いてはどうか」と忠告をした。そうすると、現地人は寝そべったまま、「あたなたどうしてそんなに忙しく働くのか」と訊いてきた。
「それはお金を稼ぐためだ」と日本人。「どうして、お金を稼ぐのか」と現地人。 「金持ちになったら引退して、妻と一緒にのんびりくらす」と日本人。 「そんなことなら、今からできるではないか。私たちのように」と現地人に言われて、返す言葉がなかったというのである。
私はこうした話が好きだ。それは何故かというと、やはり幼い頃の「早朝の体験」を思い出させるからである。幸福はあくせく努力して手に入れるものではない。それはむしろ身近にある。人生の福音は、この単純な真実の中に宿っているのではないのか。
そんな風に人生を考えるようになって久しいのだが、現実の私は蜃気楼の幸福を求めてあくせくばかりしている。ときにはデオゲネスの心境になって、メタフィジカル・モメントの訪れを待ち、天上の至福の旋律に身を委ねたいものだ。
青空が創りし朴の花白し 橋本鶏二
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