もう5年も吸ってます。 え、もう5年なんだ!?(爆 そんな、ヴァージニアスリムライト。 パッケージに注意書きが入りまして、 なんだかなぁ…な今日この頃です。
大士逮捕でなんだかなぁ。 明日雨の予報なんだかなぁ。
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ここ数日色々ありました。 いとこは結婚するっていうし、 最近メッセで喋りまくりな某御仁には御子が生まれると言うし、 先日中学からの友人の祖母がお亡くなりになりましたし、 明日は会社の上司?の結婚式だし。
…あ、そういう年頃なのか(笑
冠婚葬祭、特に幸不幸に関しては、 やっぱ感情的に行きたい基準てあると思うんですよ。 素直に祝いたいとか、素直に慰めたいとか。 花を上げたい、手を合わせたいってのは純粋な気持ちであって、 でも式、となると参列するかどうかってのはまた別なわけですよ。 式ってのはいろんなしがらみがあって、 例え当人同士に特別な何かがあるわけではなくても、 周囲の親類やなんかには査定される事があるわけです。 例えばあの時はああだったけど今回はこうだった、とか? 具体的に言えば香典の金額がどうだ、とか。 もっと言ったら、知り合いが被ってる時なんかは、 あの人の時には来たのにあの人の時は来なかった、とか。 無駄に比較されることが往々にしてあるわけだから、 なんか下手に顔とか出せないなぁって思ったり。 義理ってのは難しい。 だってね、絶対比べないって事はないもん。 俺だってさ、大概了見の狭い人間だなって思うからね。 おばあちゃん死んだんじゃ心配だね、って誰か言ったとするじゃん。 お線香くらい上げに行きたい、って言ったとするじゃん。 告別式でようよ、って言ったとするじゃん。 そしたら絶対俺、 どっかで「俺の時には来なかったじゃん」て思うもん、やっぱり。 どんな善人面したって、 自分の身内が一番大切って事なんだよね、結局。 で、そう思った瞬間、ヤだなぁって思うんだよマジで。 実際あの時は皆学生だったし、 今の友達もその頃親しかったかっつったらそうとも限らないし。 理由はいくつでもあげられるけど、 でもそう思ってしまったことは事実なわけだし? んで、それに気付いたときにね、 例えば友人の1人の式に参列した場合、 それ以外の友人の場合も全て参加しなければならない。 と、考えてしまうわけだよ。 祖父母の時こうしたら、親兄弟の場合は?とか。 後々のことまで考えてしまうわけ。 それが義理ってヤツなわけでしょ? よくわかんねーけど。 で、例え当人が気にしてないって言ったとしても、 もし近しい誰かが比較して非難したとしたら、 その時嫌な思いをするのは結局当人になるんじゃないかな、って。 義理や建前を気にしない人ほど嫌な思いをする。 それが結果的に後々のしこりになり得る。 結局「式に参列する」ってのはそういうことなんだよね。 で、逆に「式に呼ぶ」ってのもそういうのを考えないとなんない。 共通の友人の場合なんかは、 あの人は呼んだのに、この人は呼ばなかったってのは、 やっぱりしこりになると思うんだよね。 揚げ足なんて取ろうと思えばいくらでも取れるもんだし。 で、純粋に「義理」って事を考えたら、 俺は今後友人の身内が死んでも線香を上げる義理は無いわけだよ。 俺の身内の時は誰も来てないからね。 でも人間義理ばっかりじゃないじゃん。 だから、アイツのばーちゃんに線香上げ行くんだよ。 身内が死ぬってのは思ってるよりキツイって、 思い知らされてる筈だしね、俺だって一応人の子だし。 ただ墓前に手を合わせるってだけの行為だったとしても、 それが嬉しい、って気持ちは俺にもあるし。 大丈夫?って言われるだけだって、 ホントは凄く嬉しいんだよね。 ただ、それを「友人」に言ってもらえるのが、 どれだけのものなのかってのは、俺にはわかりませんが。 未体験ゾーンです。 でも実感はないままでいいです。 悲しい、嬉しいって気持ちだけで行動できれば、 それに越したことはないと思うわけですよ。 よかったね、って言いたいとか、 大丈夫?って言いたいとか、 そういう単純な感情ってのだけでいいなら、 ホントは式とかなんとかってのは要らないんだよ。 でも世の中にはセレモニーというものがあって、 それにはいちいちルールというものがあって、 前後の事とか関係性とか上下関係や親類なんかの、 非常に多くの無駄な付属品がくっついてくるわけです。 まあ、前後の事実や関係性なんかは、 無駄なしこりを残す可能性を制限する役割もあるんだろうけど、 上下関係とかなんとか、ってのはホント無駄。 無駄以外の何者でもないね。 主役は誰なんだ、って話だよ。
で、なんの話だって話だよ(滅
まあいいや。 毎回ぐだぐだ書くと誤解を招くんだけど、 それはそれだしね。 なんでもいいやもう。 兎に角明日雨なのが最高に嫌。 それだけ。
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