| 2007年09月23日(日) |
しばらくぶりで心の吐露 |
だいぶ間が空いちゃった日記になりましたね。 書きかけの日記があったから、新投稿が出来なかったせいです。その日記は、メモ帳に移動させたから、また余裕があるときに日付遅れで書きたいと思います。
さて、最近の私の心の動きとしては、落ち着いています。喧嘩もしてないし、不自由なこともおきていないし、不測の事故も起きていないし、重大な間違いも起こしていないし、他人の機嫌をそこねることもしていないし(他人が我慢しているだけのことかもしれないが) とかく、私という人間は、他人の心への気遣いが出来ない心貧しい人間なので、よくよく気をつけて生きなければならないのですが、如何せん、そういう気遣いの心が育っていないので、気をつけるということすら、実行に移すことできません。 抵抗感がある。私がしたことによって、他人にとって不快感を生み出しているのでは無いか?と慄いてしまって、結局何もしないのが一番だと、自分の心が傷つかないようにしか行動できません。もしかしたら、気遣いをしたことによって、他人が幸せになるかも知れないという、希望が持てない。 どうせ駄目だと思うのです。今では、その「どうせ」を口癖にするのは、極力辞めているのですが、(だって、口に出すことによって、そうなってしまうから。「どうせ」というあきらめ思考することで、他人が不快な思いをするって知ったから)、ただ口に出さずとも、時々「どうせ」と思ってしまうことがある。身に染み付いた思考というのは、人を腐らせますね。 で、どうして、そんな思考が身についているのか?というのを、最近、このエンピツサイトの某日記サイトを拝読して、はっと気づきました。幼少時に虐待をうけてしまうと、そういう思考になりやすいのでは、ということでした。私的ことですが、私がしつけと思っていたことは、実は虐待もどきじゃなったのか?ということ。今で言う、虐待とは、質も内容も全く違う性質のものですが。それははっきり断言しときますが。 人が育つ家庭で、精神的葛藤や、抑制は必ず必要なのです。子供が大人になるために、大人ははっきり、しつけはしなきゃならない。けど、抑圧がひどいと、その後の思考に不幸な影を落としてしまう要素はあると。ま、その後、大人になる過程で、健全に育つ環境が整ってれば、あまり幼少の影響はすくなくなるのでしょう。ただ微妙なバランスでしつけっていうのは、成り立っているし、一人の人間が育つのに、大切なものであり、、、難しい、そして、絶対的な正解はないものであり、、、
もう、この辺でやめとこう。
さてさて、今私の頭を占めているのは、アニメ「○球へ・・・」の最終回です。もうおわったのですが、どうも終わり方が感動できなくて、あっけなくて、期待はずれだったので、がっかり〜の状態。なので昨日は、某ファンサイト様のチャットにお邪魔したりして、鬱憤をはらしたり〜。で、思ったのが、素直な心がないから感動がないのかなぁと反省したりして、上記の鬱々した日記になっています。いや、きっと若くないから感動がないかも(笑)
さて、あまりうつうつしていても仕方ないので、明日は、髪を切りに行こうっと。というより、白髪がひどくなったのでカラーをしなければ。苦笑
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