ととさんの日記

2007年09月13日(木) ある意味幸せな

昨日、昼休み時間に、仕事を教えてもらっているAさんに言われた。
「幸せな顔してしゃべるね〜あはは」

多分イヤミ・・・

話の流れは、Aさんが子供についつい怒ってしまう対応をするので、子供が幼稚園に迎えに行くと、家に帰りたくない〜と泣いてしまうという。それで軽く自己嫌悪になるけど、どうしても家事をしていると、子供がぐずるので怒ってしまう。みんなでそれは仕方ないよ〜、とどうしてもそうなっちゃうもんと。そしてまたある人は、以前同様の状況だったとき、子供ののどの調子が悪いから、病院に連れていったら、風邪じゃなくて、ストレス性のものだと医者に言われてショックを受けた話などしていた。しかも、のどなのに、身体も念入りに見られたのは、もしかして虐待を疑われたのかも、とかなり反省したと。怒られるのが常習的になると子供なりに云いたいこと我慢してしまうから、Aさんの子供の場合は、まだ訴える力があるから、今から気をつければいいよ〜、とアドバイスしていた。
そんな話や、他の雑談していた後に、私が「昨日虹が出ていたね〜、見ました〜?」と話をしていたら、「幸せな顔してしゃべるね〜、あはは」とAさんが話を遮って笑い、それっきり話はぶち切れ。
ま、夕方に虹を見て過ごすなんて、Aさんの今の状況から比べると、うらやましい話かもしれない。でも、本当は、そのとき皆には云わなかった状況下で虹を見ていたのだ。Aさんの身に置き換えて例えると、”家に帰りたくないと泣いてしまった子供と、偶然出た虹をきっかけに、仲直りして一緒に眺めていた”みたいな状況。職場では云わないけど、先日日記で書いた、泣かしてしまった家族のことです。
ま、職場では家の話題はあまりしないので、他人には推し量るべくも無く、私という人間はある意味幸せな人間に見えるのでしょう。事実、あまり苦労もしてないしね。とはいえ、他人と他人を結ぶ繋がりは、色んな集団(家族、職場、友人など)へと繋がっているから、それぞれの集団でみせる顔というのもつかいわけなきゃいけないし(私は下手であるが)、その一面からしかものが見えないということは、ある意味幸せな人間といえるだろう。知らないが故の幸せ。私はそれを否定しない。むしろ知らないが故の幸せで人を幸せにできるならそのほうがいい。本当は、嘘で塗り固めた姿だとしても、さほど強い結びつきなど必要としないなら、そのほうがいい。他人が全部自分のことを知っているなんて、ぞっとする。だから、職場での個人情報は、極力隠したい傾向にあるのかもしれない。


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