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2001年12月13日(木) ☆「第九」が日本にやってきた。

ベートーベンのシンフォニー「第九」は、
年末の日本で恒例行事となっています。

どうして、第九なのか?
だれが最初に日本で演奏したのか?

その答えは、第一次大戦の悲劇にありました。
当時、中国から送られたドイツからの俘虜
(捕虜ではなく『ふりょ』と呼ばれた)が
日本各地の収容所に入れられていたのですが、
なかでも徳島県鳴門にあった坂東俘虜収容所には、
1917年から3年間のあいだ、1,000人もが生活していました。

ここでは俘虜による自治が行われ、
さまざまな職業・技術を持った俘虜たちが
持てる技術を日本人にも伝えていました。
所内では新聞まで発行されていたのだから驚きです。
これはもう、収容所とはいえ、日本に
ドイツの町が出現したといっていい状況ですね。

坂東は小高い丘のふもとにあり、
近くには四国八十八ヶ所の第一番札所もあります。
おだやかな農村の人々は、外国の俘虜を
親しみをもって受け入れました。
なんと、病気を治すという名目で、海水浴まで
許されたことがあったそうです。

そんななか、100回も行われたというコンサートは
俘虜たちの最大の楽しみとなっていました。
1918年(大正7年)、この坂東収容所において、
俘虜たちの「徳島オーケストラ」(ヘルマン・ハンゼン指揮)が
日本で初めて第九の演奏を行ったのです。
ベートーベンがシラーの詩に乗せて、
人間愛を高らかにうたった交響曲第九番を。

その背景には、坂東のこうした自由さと、
俘虜とはいえ、相手の人間性を尊重した
収容生活があったのです。
俘虜たちのなかの数十人が、戦後も日本に残ったといいます。
現在収容所の跡地は立派な記念館、「鳴門市ドイツ館」になっており、
第九を演奏した様子は、等身大の人形で再現されています。

最初の演奏は6月1日だったそうですが、
それから徐々に、年末に行う日本での第九演奏が
広まっていったのでした。

ちなみに、当時のガリ版刷りのコンサートパンフレットは
現在になってやっとその高度な技術が研究されはじめ、
こちらにも光が当てられているそうです。
(マーズ)


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