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2007年07月06日(金) 送別会

7月13日付けで、3年3カ月(学生アルバイトを含めると4年弱)勤めた会社を辞める。今日の送別会では、ターコイズブルーの革名刺入れ、ひまわりの入った元気なブーケ、須賀敦子を旅する写真集、月兎印の琺瑯ポット、そしてメッセージがぎっしりの色紙をいただいた。

一番好きだった上司が「バナナさんとは面接の時からの縁で」から始まる無難な挨拶をして、最後に少し声を詰まらせていたのがなんだかとても嬉しくて、泣いてしまった。社会で、私のことを認めてくれた初めての人だった。

私は編集プロダクションと呼ばれる業態の、小さな会社に勤めていた。本、雑誌、その他を製作する企業だ。就活中の学生や、別の業界の人には分かりづらいことだが、世間の出版物は、出版社の名前を冠して売られているけれども必ずしも出版社の人が作っているとは限らない。それから、世の中に出回っている紙媒体は、書店で売っている本ばかりではない。紙の上に字が印刷してあるものには全て、必ず作り手がいる。それを企画立案し、編集して、さらにもしミスが出たら菓子折を持って謝りにいく係の人間だ。

世間一般ではおそらく、編プロは「出版社への足がかり」だとか「版元に入れない人が行くところ」「なんだかキツそう」というイメージが強いと思う。私も学生の頃は、そう感じていた。今の会社に入ったのも、出版社の面接に軒並み落ちて、最後に拾ってもらったからでしかなかった。しかし、(もし出版志望の学生や、未経験で本が作りたいと思っていてここを読んでいる人がもしいらしたらここは強く強調したいけれども)私の3年間は、本当に面白いことの連続だった。それは会社の良さのおかげでもあり、業態の良さのおかげでもあったと思う。

面白かったポイントはいくつかある。1つめは、会社が小さくて皆が忙しいことが幸いし「やりたい」と志願した仕事は、重すぎるくらいの責任で、ババンと任せてもらえたこと。私のキャリアのターニングポイントは、2年目の夏。先輩が退職して担当者がいなくなった雑誌に手を挙げて、進行管理から版元とのやりとり、予算のとりまとめ、そして特集の編集を、全て担当させてもらえるようになったのだ。何度も何度も怒られて、徹夜もしたが、毎号毎号必ず反省と、次号への課題があり、それが次の回にクリアできることがとても楽しかった。

2つめは、版元にいたらできなかった経験が積めたこと。最近は某企業の社内報担当だったが、何度本を読んでも理解できなかった世界経済の仕組みが、取材を積み重ねるうちに少しずつだが見えてきた。半分お勉強みたいな仕事だ。英文科出身でおようふくくらいにしか興味がなかった私が、日経新聞を読むのが楽しみになったのは大きな収穫だと思う。変な担当者に振り回されて蕁麻疹になったりもしたが、蕁麻疹まで行くと、その後の怖いことはだいぶ減る。

3つめは―これがこれからも仕事を続ける一番の理由かもしれないが―モノを作る瞬間のちまっとした快感を得られること。例えば構成を練る、原稿を書く、リライトする。もやもやしていたものが、バシッとロジカルに構成できたときの小さな快感は、手を動かさなければ得られない。

高校・大学時代には、何一つ打ち込んだものがなかった。それが私の心にしこりのように残って、今に至る。空白の7年間を埋めるために、私は働き続けるのかもしれない。仕事には、手触りがあるから好きだ。「こんなに手触りのあるものに出会ったのは、小学校のミニバス以来です」と社内用の退職挨拶文に書いた。


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