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2005年01月03日(月) Nadiff

昨日から鬱々とした気持ちが消えず、その上今日は花粉症が出て午前中の体調はさんざんだった。アレルギーの薬を飲むと、鼻はスーッとするけれども副作用で眠くなり、体もだるいので気持ちが内向的になる。

ここ一年ほど、私はつまるところ、あるひとりへ向けてこの日記を書いていたのだと思う。理由もなく、そのひとりを失うかもしれない。そのことが残念でならなかった。積み上げてきたもの、読み、書いて伝えるという行為そのものが、虚しい繰り返しとなって自分の前にほっぽりだされた感じだった。

どうしようもないこと。を、受け入れたり飲み込んだり、切り刻んだり悶え合ったりしながら進んでいくのが私であると、そんなことは大人なので知っている。それでも、どうしても体はだるかった。顔もむくんでいる気がした。



六時半に待ち合わせがあり、Nadiffに行った。店の真ん中のギャラリースペースで、長島有里枝の展示をしていた。お客さんが少ないから空間を独り占めできたので、同じところを何度も何度も歩いて、決して広くない空間にこれでもかと貼り付けてある彼女のだんなだという人の写真を眺めた。もっと俗っぽくて、「新しいことをしています」という気概にあふれすぎた(つまり苦手なタイプの)写真家かと思っていたが、とてもよかった。気持ちが外に向かない私に、壁の白さが優しく染みた。この本屋は、私が「嫌だ嫌だ」と言って劣等感を持っている、アートやらデザインやらの権化のような場所なのに、いつ来ても気持ち悪い感じがしない。控えめで、小さい声でぼそぼそ話す人のような品がある。

友人に会って、色々話していたら自然にとげとげした気持ちが解けた。お土産にもらった鮭を抱えて、湘南新宿ラインで帰る。帰りの電車で読んだ、石牟礼道子の『苦海浄土』の文章が迫ってきて、胸がいっぱいになった。水俣病になった人々の語った言葉が、語られたままに本のページを埋めている。漁師のだんなさんと、毎日海へ出ていた女性は、船の上から見た(汚染される前の)不知火海の様子を細かく再現する。自分の日常生活について人は、こんなにもありのままに、美しく語れるものかと思う。苦しみながら、患者がのたうちまわりながら言葉に置き換えたものが、結果としてきれいだということに、感動する。自分がこれから書いていくということについて、目標を示された気がした。



コミュニケーションの相手がいないということを、私は声高に叫ぶ。しかし、今日の、薬でやられただるい体に染みたのは、そんな自己主張の微塵も見えない、半径数メートルを淡々と穏やかに切り取り、それをそのままぽんと差し出しただけの、穏やかな風景だった。私は不在のあなたへ向けて、だから静かに書き続けよう。音のしない深夜のコタツで、パソコンに向って、しっとしっとと泣きながら。私が書き留められるのは、こういうことでしかない。

夕焼けを見た。無音で暖かい、高崎線の車内が好きだ。こういう、ことでしかない。


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