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2004年11月03日(水) 『装幀列伝』を読みながら考えた

芸術の才がない。

小さい頃から絵を描くのが下手で、写生会が嫌いだった。私がデッサンすると、道は奥行きが出ず、空に向かって延びているように見えた。その上ああだこうだ考えて描くので、できあがりも遅く、いつも居残りでようやく完成した。教室で描くと目の前に風景がないものだから、余計におかしい色づかいになった。勉強でも運動でもどんくさい男の子が、見たこともないような濃淡を作り出して空を塗っているのを見て、「どうやって思いつくの?」と心底感心して尋ねたこともある。

字は得意だったので、高校の芸術では書道を選択した。それ以来ずっと、絵や美術というものから離れて生きてきた。できないから離れてかまわないと思っていたし、離れているという意識さえなくなるほど、縁遠い世界だった。

大学4年生も終わる頃、「希望の職種はグラフィックデザイナーです」という人と知り合った。もらったメールには、「気に入っているブランドのイメージビジュアルを手がけたい」と書いてある。

ぺーぺー女子大生の私には、何を言っているのか全く分からなかった。グラフィックデザイナーとかアートディレクターと聞くと、襟を立てて高そうな革の鞄を持っているひげのお兄さんを思い浮かべるくらい。彼らが何をしているのかなんて少しも知らなくて、でもなんとなく偉そうで、なじめなかった。書店の「アート」という棚はまっすぐに通り過ぎていた私である。分からないのも当然だった。「アート本なんて誰も分かってないくせに、それを持ってる自分が嬉しくて買うんでしょ」と心の中でバカにしていた。

色々と話を聞くうち、それらがどうやら偏見であることに気付いた。ものを作ることについて、こんなに考えている人がいるのか、と驚いた。昼と夜の明かりの強さや、細い細い線についてや、鉢植えの植物の色づかいについて感知する。どうやら、「降りてくる」瞬間を味わったことがあるらしい。

(「降りてくる」というと変な表現だけれど、分からないこともないかな。私も出版社の入社試験中に作文を書いているときなどに、それにほんの少しだけ似ている体験をしたことがある。頭の中に、突然文章の構成図がわき出てくる。私のはそんなアーティスティックなものじゃないけれど、世の中の芸術家はそうやって神がかった作品を生み出しているのだろう。)

「今まで色々なことを知らなきゃいけない、勉強しなきゃいけない、と思ってきたから、ある一面では苦しかったんだけど、『デザインをやるんだ』って決めてからはすごく吹っ切れたんだ。すっとしたんだよね。これでやっていくんだ、もの作りしかないんだ、ずっと、って。」

普段は無口で自分のことを話さない人から出た、まっすぐの言葉が忘れられない。人との出会いから生まれる新たな興味が、私をまた違う場所に連れて行ってくれるのだ。


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