冬休み最後の日、友達2人と二人でぶらぶら買い物をしましたー。原宿のune nana cool(ウンナナクール)という下着屋さんを教えてもらったんだけど、ここのお店すっごく気に入っちゃった☆
3000円くらいなのに、ラブリーすぎず(苺柄!とか、チェックとか好きだけど、もう22だしね!)、お水っぽく(フリル過剰とか、紫のドット柄とか、どうなの〜??キャラ的に)なりすぎずのブラがたくさんで本当に可愛いの。しかもワコールなんだよー、それでこのお値段!?ってうれしくなっちゃう。
……une nana coolの良さを伝えるにはこのような文体が適切かと思いましたが、少し疲れたので元に戻します……。可愛いのはほんと。私は深緑の上下を買いました。
ようやく上巻が終わりそうな阿部和重の『シンセミア』に女子高生のweb日記が出てくるのですが、これが本当に表面をなでるような、まさに内面の欠如した文体で、ぺらぺらっと明るい。
■happy few(=幸せな少数派)
帰りの電車では、『羊をめぐる冒険』を読んでいた。ちびちび味わいたいのに面白くて止まらなくなってしまう。2回目に読むの今のほうが、この作品の良さがよく分かる。
体に文章--雨の匂いやジェーズバーの雰囲気、「僕」のいう退屈さ--がしみこんでくる。私はやっぱりこのひとが好きだ。好きだけれど、こうして初期の作品を読んでみると村上春樹がベストセラー作家だということがなんだか信じられない気持ちになった。
浜崎あゆみのポスターを見るたびに、ああ、こういう売り方、消費のされ方しか方法がないというのはきっと可哀相なんだろうな、と思うのだが、正反対の例で、この間見つけたいい言葉に「ハッピーフュー」というのがある。大多数でなくとも、きちんとした好きなものをきちんと愛する幸せな人に私はなりたいなあ。
村上春樹初期作品の、退屈でどこまでも続く日々をちょっと諦めながら「やれやれ」と言って美味しいビールを飲む世界は、あっちの本屋にもこっちの本屋にも平積みされるような、そんな消費のされ方をされるべきなのかな?
余計なお世話だけれど、少し考えてしまった。
それから、『ノルウェーの森』あたりからの彼が嫌いだという人の気持ちも少し分かった。『羊〜』の主人公も多くを失っているし、彼の退屈さは万人に共通のそりゃあひどいものだけれど、彼は(ノルウェイ〜のワタナベくんのように)「喪失感」だなんて口にしたりはしない。
地下鉄サリン事件と阪神大震災の後、村上春樹は自身の創作の姿勢を「デタッチメント」から「コミットメント」へと変化させた、とエッセイでのべている(『約束された場所で』や『アンダーグランウンド』)。しかし本当に、社会にコミットしていくことが、文章を書ける人の義務なのだろうか。色々な批評家が目の色を変えて文句を言ったり褒めたり。あるいは「ノーベル文学賞に一番近い作家だ」と言われたり、長者番付に名前が載ったり。春樹さんの作品には、そんな大それたなんだかんだと、まったく無縁の幸せがたくさん溢れていると思うのです。
喪失感やニヒリズム、気取ったシティライフだけじゃない。素敵な比喩や冗談を言える、孤独で、それをやり過ごす知恵も持った大人の、小さな小さな街の中の世界がいい。だから改めて言います。私の好きな作家はそれでもそれでも村上春樹なのです。
■靴磨きという美学、節約という哲学

一年以上もはいているローファーの手入れの仕方が分からなくてずっと困っていたのが、今日たまたま立ち寄ったアルフレッド・バニスターにクリームがあったのを「これいいよ、使ってみ」と友達が教えてくれる。今年は革ジャンと財布を買ったけれどもなめす布さえなく、知らないふりをしていた状況からようやく一歩脱せた。
こだわりだすと何でもきりがない世界で、下着も靴下も、革製品のお手入れもやろうとしたらどこまでだっておたくになれるんだわ。
もう22だから、そういうところにお金をかける人になろうかな、と思った。
だから、だから、
西武のmovita館で見つけたMARNIは知らないふりをした!知らない!!あんな16万もするすっごい柔らかくていい革の、緑のバッグなんて知らないぞ、俺は。絶対買わないぞ!!
■ジョン・レノン・スーパーライブ
を見ている。なんだかすごく満足げなカラオケを見ているようで、あまり面白くなかったのが、奥田民生のステージは素敵だった。ああ、あんなに鬱で、いつも失恋を気に病んで、「君とは袋小路だよ」とか言って人を傷つける私の前の彼は、民生が好きで、実は心の底から優しい人で、そういうところがすごく私はいいなと思っていたことを思い出して、ちょっぴりセンチメンタルになったのでした。まあいいや。
『刹那』を買った。「喜びを他の誰かと分かり合う それだけがこの世の中を熱くする!」
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