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2004年11月27日(土)

いつまで経ってもどこへ行っても
似たような所で変わらないことをやってるなぁと思う。
大学時代を別にすれば、度重なる引越しにも拘らず
ずっと海から5km圏内(小学〜高校時代を過ごした
今の実家以外は1km圏内)に住んでいる。
選んでそうなったわけではないのだが、ずっと
当たり前のようにそこに海はある。

夜の瀬戸内沿いを車で走ると、対岸に見える街の灯りが
実はその道の続きだったりする。
入り組んだ海岸線では、折り重なる地続きの岬と
近海に浮かぶ小島を見分けるのが難しいこともある。
もしかすると、昔は、それらを区別する必要は
なかったのかも知れない。
勿論、船という交通手段を持つ者に限ってだが、
それは海のそばに暮らす人々にとって、今よりも
もっと身近な方法であったろう。

長崎の人たちが、陸路を通れば遥かに遠い熊本へ
日常的に海を渡って行くのを見た。
ならば逆に熊本からは、海の向こうの島原、その向こうの長崎、
そのまた向こうの西彼杵、更に向こうの五島・・・と
いう感じに見えるんじゃないかと思った。
島だから海を渡って往き来するのではなくて、ただ、
そこに海があって向こうに陸があるから渡るのだという感覚。

すると、岬であっても島であっても大した違いはなくて、
島々は現代ほどに離島ではなかったのではないだろうか。
僅かな島住まいの間に、バスのように船に乗って
買い出しに行ったり、帰りのフェリーに乗り遅れて
目の前の海原に途方に暮れたり、今では東南アジアでしか
見られなさそうな船上住宅の写真に接したりしながら
そんな風に考えるようになった。

旅の終着地にもなる“行き止まり”の海岸。
その先は、地上交通の発達で失われつつあるのかもと
言うのは大袈裟だろうか。


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