日記
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2001年08月02日(木) 血の繋がりの無い子供を愛せますか?

時折無性に叫びたくなるのは

夏だからか。若さゆえか。

ミヒャエル・エンデの『モモ』という映画
無数のお人形をこれでもかと投げつけ埋め尽くされたそんな場面とか
灰色の男に「あなたは愛されていないの?」と聞いたモモの瞳とか
観たのは随分と前だったのに皮膚科の待合室で私の頭の中を占領した
多分ほんの数分間
モモはピンクのクマではありません
皮膚科なんて年寄りばっかだろうとかなりの偏見を持って訪れたものの
意外や若者の方が多かった
特に子供
そうだ夏休みだし
アトピーとかアレルギーって年々増えているみたいだし
人間にとって有害な物質でどんどん満たされていくんだこの世界は
だからこうして弱いもの、つまり子供に影響が
なんて事を思う。

そんな私もホコリとダニのアレルギー。
発覚したのは小学校5年生の時だったか。
簡単な事で部屋をきちんと綺麗にしていれば日常生活に何の問題も無い。
たまに埃っぽい場所になど行くとくしゃみが止まらない。

二の腕の湿疹、原因は良く解らないらしい。おいおい、アンタ医者だろ。
しかし、アレルギー反応や何かの病気、という
「体の内部からの反応」ではないらしい。
「外部からの刺激による反応」だそうだ。
何処かにぶつかったりしなかったかと聞かれるが心当たりも無い。
変な質問だな、と思いながらも
こいつは藪医者なのか名医なのかと見分ける方法など無いのだが
真剣に見つめてしまった。
どう見ても60歳を過ぎているように見えるのだが・・・・・・。
きっと何千人もの皮膚を診て来たのだろう多分きっと大丈夫さ。
診察時間2分だったんだけど。
待ち時間30分だったんだけど。
病院なんてそんなものさ、と思う。
普段病院ってあんまり行きなれてないからねぇ。健康体。
総合病院だときっと待ち時間も長いだろうと思って個人病院に的を絞り
うちから徒歩5分圏内にある3つの皮膚科のうち
名前だけで直感で選んでみたのだがどうだろう。
そこそこ混みあっていると言う事はまぁそこそこ信頼して良いのだろうと
根拠も無いくせに勝手に信じる事にして
しかし私ってば失礼な患者だが
大事な皮膚の命運を握っているのだから当然当然。
軟膏とかゆみ止めの薬をもらって、待ち合わせの場所へと急いだ。


午前3時半。気持ちが悪い。吐き気、というのとはちょっと違って、
胃がむかむかするという感じだ。
油っこいものを食べ過ぎたのか。
酒はあまり飲んでいない。
寝て起きればおさまっているだろう。胃腸は丈夫な方なのだ。


そういえば父親は不規則な生活で食事の時間もバラバラなので
胃腸薬を常用していたっけなぁ。

バジリコは好きですか?
ハーブですね。ポピュラーですね。
私は大好きです。「トマトとバジルのスパゲッティ―」とかね。
うちの父親、料理するんです。
少なくとも一般的な父親のイメージよりもずっと。
お魚をさばくのは当然として、フライも作るし、コロッケも作るし、
ピザも生地から作るし、勿論餃子も皮から作るし、
梅干も作るし、煮物も作るし、ケーキだって焼いちゃいます。
(ちなみにうちの母は、ケーキなんか焼く女じゃありません。)
独身が長かったから料理が上手、というわけではなくて
独身時代は酒のつまみ系、野菜炒め、チャーハンくらいしか出来なかったのが
結婚してから母に仕込まれた、という感じ。
最初の頃は本当、食えるような代物じゃなかったんだけど・・・・・。
(超!!マズカッタです。)
すっかり料理に目覚めてしまったのか、
その後めきめき上達して、今じゃなかなかの腕前です。

その父が、私が中学生の頃バジルにはまっていて。
と言うか、家の庭で栽培していたバジルが
わさわさと物凄い勢いで増殖(?)していて、
何だか知らないけど父が作る料理には必ず大量のバジルが入っていて。
特にトマトソース系。これまた大量に作るから1日じゃ食べきれない。
次の日もバジル。バジルバジルバジル
とにかく父以外全員バジルが大嫌いになっていて、
と言うか明らかに入れすぎで、もう何食べてもバジルの味しかしなかった位で
つまりどう考えても美味しくなかった筈なんだけど、
父だけは美味しい美味しいって喜んで食べていて。
そう、この人は自分が作ったものなら何でも美味しい人なのさ。
ま、人は大概そうであると思うけれど。

「外で食べると、こんなにいっぱい入っていないんだよ」と言うのが彼の口癖で。
いや、お父様、こんなにいっぱい入っていない方が絶対良いと思う・・・・。

さすがに家族全員の「もう当分バジルは見たくない」と言う訴えに負けて、
父はそれから暫く、自分の分だけ作って美味しそうに食べていたけれど。

ある日私は友人とイタリアンレストランに行き、
メニューに「トマトとバジリコのスパゲティー」があったので
興味半分、恐怖半分で注文してみた。

凄く美味しかったのだ。
そして問題のバジルは風味付け程度にお上品な感じで使用されているに過ぎなかった。
それ以来バジルは好きだ。
父にも、「バジルの量をせめて今までの3分の1にして」と言って
作ってもらうと、とても美味しかった。



そんな彼が、実は自分の子供が欲しかったのだと知ったのは高2の春。


結婚式の時に、しきりに周りの友人達に言っていたのだという。
それを偶然、話のはずみで、共通の知人から聞いた母は、
何も知らなかったのでびっくりしたと言って笑っていた。
私もとりあえず笑ってみせたりした。
母にはそんな事一言も言ってはいなかったらしい。


「子供が出来ていたら私は寂しかっただろうか」 という思いと
「子供が出来ていたら父は今より幸せだったのではないか」 という思い

2つが交錯したが後者の方が重く感じた。
勿論母にはそんな素振は見せなかった。


血の繋がりの無い子供を愛せますか?
心から?
血を分けた我が子と同じように?


家族とは、血の繋がりが全てじゃない、とは思う。
だって家族の中で、愛する配偶者とは血の繋がりが無いじゃない。
自分が生まれ育った家庭、その家族より
ある意味で大きく超えた”愛情”があるから
だから結婚するんだろう。新しい家族を創ろうとするのだろう。
だから、愛する人の子供は同じように愛情を持つことは可能だろう。
  「愛する人の一部分として」


でもそれは、自分の分身へと注ぐ「絶対的な愛情」とは異質なものだ。



よく思う事は、
例えば血の繋がった実の両親から、虐待を受けて育つ人がたくさんいる事。
自分にとって、ある意味唯一絶対の存在から、
否定され続けて生きる苦しみとはどんなものだろう。
きっと私の想像など遥かに越えた・・・・・
いっそのことそれが血の繋がらない存在だったら
苦しみは半減されたかもしれない。ある意味諦めが付くものかも知れない。
なんて、勿論そんな事当人達にしか解らないし、
何も知らない私がとやかく言えるものじゃないんだけど。


小学校2年生の頃
クラスで仲が良かった女の子の両親が離婚して、
その子は転校する事になった。
私は、自分の大好きな両親が離婚してしまう苦しみを背負うその子が
とても可哀想だな、と思う反面、

それでも生きているんだからいいじゃないか。死んじゃったら2度と逢えない。

なんて事を考えていたあまり優しくない子。うーん小さい頃から自己中だね。



父の人生とは一体、なんだろう。

血の繋がらない存在の為に毎日毎日一生懸命働いている父は本当に幸せ??

せめて優しい娘でいなければと思う。


血の繋がりの無い子供を愛せますか?

私にはそんな自信はありません。

自分の子供の方が可愛いもの。そんなの当たり前だもの。

そんなの、当たり前だもの。

誰か私に足りない愛情を補って。

そんな願い贅沢だと解っている。
こんなに愛されていて、それでもまだ欲しいと言うなんて。
只の甘えに過ぎません。



そう、彼は血の繋がらない2人の子供に

例えば、弟が洋服だの靴だのとにかく色々と万引きした事が発覚した時も
商品と、10万円以上の現金とを持って
お店をまわって、一緒に謝って

弟は国立大の付属中学に行っていたのだけれど
よくいじめの首謀者としてだの素行不良だので学校に呼び出されていて
その度に先生の所へ行っていたし

高校は隣の県の、寮のある学校へ行っていたけれど
(成績は良かったけど内申書が悪すぎて県内の良い高校は受けられなかった為)
2年生の冬にとうとう退寮になったし、
しかも2年生なんて2回もやりやがったし
しかも2回目の2年生で結局退学になってるし
何かある度遠いのに呼び出されて行くのは大概父親だったし。
そうそう、1回目の2年生の時にピッチと携帯の支払い溜め込んで
12〜13万になってて、それも結局親に押し付けてましたっけ。
払ってやる親も親だが。まったく。

そんな弟はバイク無免許2人乗り時速90キロで60代のお年寄りをはねました。
ICUで意識不明の重体だったその人は奇跡的に助かりました。
その時の治療費・入院費等は勿論保険は使えない為
200万円以上かかりました。それは既に支払ったそうです。
問題は慰謝料で。
これは未だ決着がつきそうにありません。
その方の息子さんが、かなりお怒りのようです。ま、当然です。
弟に反省の色が感じられない、というのが理由だそうで。ま、当たってますね。
「絶対に示談になんかしない!裁判起こしてやる!」と息巻いていらっしゃるそうで。
ま、金払うの両親なんですがね。
弟は1年以上前から家を出て働いていて、月20万以上稼いでいるけど、
両親に返したお金は5万円だそうで。
奴、今免許取得に励んでます。かれこれ半年。
取れたら車買うんだってさ。
「自分の人生なんだから(事故なんかに)邪魔されたくない」というのが
彼の言い分で。
常識人の理解を遥かに超えていますが。
両親は、退院してからも毎月必ず、その方の家へお見舞金を持参して謝罪に行き、
その反面、弟がお見舞いに行ったのは退院後たったの2回。
しかも私が電話で説得して半ば強制的に。
 
弟の事についてこれ以上書いても虚しくなるのでもう止めましょう。



私はと言えば弟のように目に見える悪さはしなかったけれど
帰りが遅くなって怒られた事もあったし
他にも色々と心配をかけたし、迷惑もかけたし、
今こうして大学に通って、仕送りをしてもらっているけれど
その学費や生活費等の金額を合計すると4年間で1千万円をゆうに超えてしまう事とか


そうそう、私は上で散々お金絡みの事ばかりつらつらと書いてますが、
単に目に見える形で解り易いから書いたので、(特に弟)
勿論お金のことなんて関係なく、もっと色々な形で
父が私達にしてきてくれた事は数え切れないほどあります。
これ以上感情的になりたくは無いので書くのは控えます。



弟は裏切り続けてきたわけですが。
だから父は数年前から、
弟の事は許せないと言っています。
人間として最低な奴だと言っています。
大嫌いだと言っています。


それでも、何かある度後始末をしに駆け付ける父は
何を思って生きているのでしょう。
つまり私が思うのは、
逆に自分の本当の子供だったならここまでしただろうか、という疑問。
突き放す事も出来たかもしれない。


両親は、自分達が急に死んだら遺産は全部私の所に行くようにしようと
(勿論遺留分などありますが)考えたようですが、
そんな事をしたら、私がいつか殺されるかもしれないから
止めようと思い直したそうです。笑い話のようなほんとの話。




私はお金なんか要らないの。

全部使い切ってくれればいい。
物質的なものは何も残さなくっていい。
私は後8ヶ月で大学を卒業します。
残りの人生、自分達の幸せの為だけに生きていってくれればいい。
父も、母も。

私が望むような愛情ではなかったかもしれない、それでも
私にいろいろなものをくれてありがとう



もう充分です。






弟が事故を起こして、両親も色々大変で疲れ切っていた時
父が、母に言った言葉

「それでも、俺は、真理子の事も ○○(弟)の事も 
             本当の自分の子供だと思っているから。」


その言葉だけで。





yuri |MAIL

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