俺は誰も置いてかねぇー!(from 野郎LIVE) - 2004年01月07日(水) 友達が今日のお昼、男の子を出産しました。 私のようなのが日本の出生率を下げまくる反面、 ちゃんと家族を増やしてる人がいるのは心強いっす。 ***** ゴーインのダダダダッダダッ…というイントロに続いて アルビレオのイントロ(サビと同じメロの部分)をナチュラルに続けてしまう私…。 (ダダダダ ダダ ダダ ダダ ダダダダ ダダ ダダ ダ (いぇー) パーパーパーパーパパパパパパ〜♪ ←アルビレオ) 消えない灼熱の花、というのは タカノリのイメージにすごくはまってると思うんだな、個人的に。 なんといわれてもわたくしの目にはあの野郎がすごくかっこよく見えるんだもの(笑)。 アルバムは11曲入りでひさびさに西川作詞もあるんだ( ̄∇ ̄) Goin'は入らないから、もしかしてアルビレオ以外全部初聴き?!すげーっ(泣)。 シングル・アルバムのW購入応募特典ってなんだろね? ***** 野郎LIVEのとき叫んでた「俺は誰も置いてかねぇ!」(ラジオより) というのは、なかなか深いなあと思うのです。 (ライヴのとき何回か置いてかれた覚えがあるぞ!というツッコミはおいといて。) 会場のノリの話とも取れますが、 この数年の流れを踏まえた決意表明のようでもあります。 一度は、今まで打ち立ててきたものを壊して、新しいものになろうとした人だから。 詳しくはいま発売中のPopBeat YearBookのインタビュー(再録)などにもあり。 それまでベストアルバム発売には難色をしめしていた人が、 活動のしめくくりという形でおととし出したベスト。 それと同時に敢行したホールツアー。 ベストアルバムでツアーやる奴なんて普通いない、と本人も言ってました。 今までの方向性を変えてしまうのは残念だけど、 新しいことを始める勇気と、何もかもゼロから始める不安と、 未知なる世界に踏み出すときの希望に輝いた時期でした。 その頃、降って湧いたようにタイアップの話が持ち込まれ、 結局、路線変更は先延ばしになったわけですが…。 その後は、今までのものを完全に変更するのではなく、 今までのものにあらたに別の路線を追加するという意図に変更されたようです。 まだ追加部分は完全には見えてこないけど。 さすがに変わらないと知ったときはがっかりしたな…。 期待が大きすぎた反動で。 いろいろ見えない事情があったとはわかっていたが。 たとえば当時のスタッフに泣いて止められたとか。(ラジオかライヴで言ってた) 一度やりかけた曲作り(現在はお蔵入り)をやめると言ったら、 「こんなんじゃもう誰もついていかないぞ」とスタッフに言われたとか。 これは確か神戸あたりのライヴで言ってた話。 そういう外部事情もあったんだろうが、 結局は自分がまだ前の路線を続けたいから現在に至るんだろう。 ブレイクしてた頃から時間は流れ、 世間には癒しとかR&Bとかのキーワードが溢れる時代、 もう自分は受け入れられないんじゃないかと悩んだという。 ところがベストアルバムを出して、ツアーをやってみたら、 今まで自分のやってきたことが予想以上に支持されてるんだ、という実感が湧いたんだろうな。 ここで一番上の話に戻るんだが、 あの人は本質的にものすごく欲張りで(悪い意味ではなくて)、 自分を好きでいてくれるファンを誰一人逃したくなかったんじゃないかと。 ファンとひとことで言っても、あの人に求めるものは一人一人全く違うのだから、 誰の脱落もなく連れてくのは不可能だと思うんだが、 それをできるかぎりやろうとしてる、そういう人である。 「わかるやつだけ来い」という気持ちもあるけれど、 「やっぱり皆来い!」と言ってしまう。 そういう姿に、ただのボーカリストというだけでなく、 一種のカリスマというか…指導者的?煽動者的?なものを感じる。 ライヴが宗教っぽいと言われる所以だな・・・。 ライヴに行くということはアーティストの人間性に触れるということ。 どれだけ歌や演奏がうまくても、心を動かす何かがなければ、もう次はいいや、と思う。 TMの音楽は自分が好んで聴くようなものとはズレている、 が、あの世界もまぎれもなく彼の一部であり、ほかの誰にも真似のできないものだった。 面倒なのは承知で、今やっていることと、自分の中にある別の面を両方出そうとしている。 片方は他の制作者がいて、片方はおそらくセルフプロデュース。 時間もかかるしいろいろややこしいことになると思うが。 つくづく、近道のできない人なんだろうな。 いつも120%って感じだもんな。 「頑張れば必ず夢はかなう」とか安易なことは言わないし、 努力していることイコール偉い、というスタンスでもない。 あくまで結果を出してなんぼの世界。 だが、理想を求めてあがくことには意義があり、苦しかったことも確実に栄養になる。 何もしないで、できない、できないと言ってるヤツに用はない。 あの人を見てるとそんな風なことを思う。 何も失わず、楽して何かを手に入れたいと思ってる人間のことは好きじゃないだろうな。 不完全で、悩んだり転んだりする姿をさらけ出し、 寄り道したり遠回りしたりして、それでも何かを手に入れたいと戦い続ける姿は 美しいしかっこいい。 アーティストとしての彼は遠い存在だが、 人間としてはものすごく共感を(勝手に)感じている。 流行の変化にもめげず意外としぶとくファンをつかんでいる秘訣は、 不完全な自分をありのまま見せる姿に、共感を感じる人がけっこういるからじゃないだろうか。 もちろんアーティストとしての一番の武器はあの声。 もっと歌が上手い人はいっぱいいるんだろうが、 タカノリの声はタカノリにしか出せないもんな。 これから音楽性が変化していって、ついていけなくなる日もいつか来るかもしれない…。 でもそれはかまわないんだ。 もし本気で失望することがあるとしたら、それは彼が音楽をやめるとき。 体調のせいでも特別な事情のせいでもなく、 飽きたから、やりたくないから、自主的にステージを降りるとき。 そんなことになったらきっと失望するだろうけど…ありえねーか(笑)。 それ以外で、ちゃんと前に向いてゆっくりでも進み続けてくれるなら、それでいいや。 …と今日は思うが明日思うかどうかはわからない(笑)。 またボロカスに書くことがあるかもしれない。 同じ人の中にすごく好きな部分と苦手な部分がある。 それでも、ステージで歌っているときの彼は私にとっては輝ける存在だ。今のところ。 闇に燃える灼熱の星の輝き、なんて(照)。 《読書日記》 ◆波のうえの魔術師(石田衣良、文春文庫) この人のセンスはものすごーく好きだ。 重いテーマを書いてもウェットにならない適度にドライな文体、 人間のダークサイドを真正面から描く筆力。 何より、主人公はかならず筋が通った人間的な人物になってて、感情移入できる。 池袋ウエストゲートパークシリーズが文庫化されたらまた買おう。 ...
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