家族進化論
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2026年08月10日(月) reflection2026

*「教え方」を目の前の生徒に応じて選べる人を育てたい *

授業のつくり方を教えるとき、つい「こう教えるとよい」という単一の型を渡したくなります。しかし、型をひとつ渡しただけでは、目の前の生徒が想定とずれた瞬間に手が止まってしまいます。

そこで目指したいのは、多様な学習者に対応する「教え方」の選択肢をできるだけ多く手元に置いてもらうことです。

そして、その選択肢を「いつ、どんな状況の学習者に、どんな理由や見立てに基づいて使うのか」まで含めて、自分で判断できるようにしたい。

教える技術そのものはもとより、「技術を選ぶ判断力」を鍛えること。一見、回り道に見えますが、これこそが教師の成長(teacher
development)を促す本質だとわたしは考えています。

* 内省 (reflection) を核に置く*

「実践・省察・改善」のサイクルを、誰かに管理されるのではなく自分で回す。いわゆる「自己研修型」の発想を、引き続き講義の骨格に据えるつもりです。

教師の資質は、もはや普遍的で固定的なものではありません。むしろ「自分の認知がどう変化しているか」を本人が把握できるかどうかが重要です。

とりわけ、自分が指導の際に無意識に当てはめている枠(指導観のテンプレート)がどんな形をしていて、それが今の生徒にとって適切なのかを内省的に点検する機会が必要です。

その意味で、reflection は成長の周辺作業ではなく、教育の核そのものです。

そして、内省の材料となるのは結局のところ「学習者からのフィードバック」です。

生徒から返ってくる反応を手がかりに自分の指導を観察し、直していく。この姿勢は繰り返し学生に伝えたいところです。

* 実習前の「最後の砦」として *

この講義は、学生たちが実習に出る前に受ける最後の授業にあたります。現場の先生方が実習生に望んでいることを、できるだけ身につけさせて送り出したいと考えています。

参考にしているのは、三尾忠男・牧野智和「私立総合大学教員養成課程におけるマイクロティーチングの導入」(『早稲田教育評論』24(1)、2010年、p.160)にある資質・能力の整理です。

* 知識*: 教科の専門知識、教材研究、指導案作成、学習指導要領の理解など
* 技術*: 板書、発問、話し方、生徒の質問への対応、課題の与え方など
* 態度*: 節度ある身なりや振る舞い、責任感、声の大きさ、体力、探究心など

並べてみると、大学の講義で扱えるものと(扱えるものの)現場でしか身につかないものが混在しています。それでも「何が期待されているのか」を事前に言語化しておくことには大きな意味があります。

* 授業の内外で *

授業内では、自分に足りないところを客観的に自覚し、そこから学びに向かってほしいと思います。
「起きていることはすべて正しい」(勝間和代)という言葉を借りれば、「うまくいかなかった」という事実をまずありのまま引き受けることから始める、ということです。

授業時間外については次の2点です。

・準備から後片付けまでを自分の責任で回せること
・授業をしたら振り返って改善する習慣がついていること

* 困ったときに戻る場所 *

願わくは、この講義が彼ら・彼女らが現場で行き詰まったときの「拠り所」になればと思っています。目先の方法論そのものよりも、立ち返ることができる「考え方の足場」を残したいのです。

もうひとつ。妙な派閥意識はもたないでほしいと考えています。指導法をめぐる立場の違いはあっても、「日本の生徒を皆で育てているのだ」という大きな感覚は共有していたいものです。

* 未来の英語教師に望むこと *

思いつくまま挙げれば、

人間としての魅力。熱意、情熱、愛情。生徒指導の力、校内外のネットワーク、情報の収集・分析・整理力、時間管理能力、伝える力。あるいは「人に頼る力」と「断る力」。思考停止をしないこと、疑問を持ち続けること。入試に合わせる力(傾向も内容も(最悪、間接的にでかまわないから)熟知していること)など。

挙げればキリがありませんが、わたしが真っ先に据えたいのは「英語そのものの力」です。

英語の本質に迫る学習と実践を続けてほしい。「指導法マニア」になったり、「楽しい」授業の海に溺れたりしないでほしい。(「楽しい」とは何かを突き詰めて考えてほしい。)

教え方をめぐる議論は、英語そのものへの深い理解に支えられて初めて意味を持つのだと信じています。


今号も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
それでは、また。


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