家族進化論
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2023年05月04日(木) repeat repeat repeat

ダイヤモンドオンラインより引用

なぜなら、“やく年”のやくは、“厄”でなく“役”だと思っているから。
 厄は苦しみや災害を表す言葉で、厄介、災厄と、ネガティブな言葉。
〈厄年〉と聞けば、よくない年に思えます。「身体の変わり目を迎える歳、衰えを感じる歳だから、注意しなければいけない」といった説があるのもそのためでしょう。
 諸説あってこれまた真相は不明ですが、僕が好きな説は「役目を与えられる年」というもの。

 女性は一九歳、男性は二五歳で、一人前の大人としての「お役を担う」。
 女性は三〇代、男性は四〇代で、世の中の中堅としての「お役を担う」。女性は出産、子育てという大役も担いますから、三〇代は重責です。
 そして男性は六〇代で、年長者としての「お役を担う」。

 これが正しいというわけではないのですが、僕にとっては一番フィットする考え方です。
 今でも、古いしきたりを大切にしている企業や老舗商店のなかには、お正月にその年に厄年を迎える人たちを前に出し、「この人たちが重い役目を担ってがんばってくれるから、ほかの世代が災難に見舞われない。感謝します」として、表彰するところもあるそうです。
「役を担うぞ」という気持ちで、厄年を迎えるのか、「厄払いをしないとこわい」という気持ちで、厄年を迎えるのか。ちょっとしたことですが、いずれの気持ちで受け止めるかで、一年の過ごし方が変わってくる気がします。

 僕がおすすめしたいのは、厄年になったら神社に厄払いに行くのではなく、挨拶に行くこと。
「お役目が来たな。ちゃんとやりますって、神さまにご挨拶に行こう」
 この姿勢であれば、ポジティブなお参りとなります。

「責任が生じる年頃だ」と気を引き締めれば、健康にも留意するでしょうし、無茶をして事故に遭わないように気をつけるでしょう。責任があるとは、「自分以外の誰かのためにも生きる」ということなのですから。
 単に「厄が降り掛かってくる年だ」とおびえて、「神さまお願いします、守ってください」とお祓いをするより、いい一年を過ごせるのではないでしょうか。


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