きまぐれがき
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2004年12月17日(金) 聖劇

降誕祭を間近にして思い出したのが、幼稚園で聖劇をした時のことだ。
聖劇というと、女の子は圧倒的にマリアさまや大天使ガブリエルを、演
じたいのだと思う。
私だってマリアさまは無理でも、百合の花を手に持ってマリアさまに
お告げをする大天使ガブリエルの役をしてみたかった。



ところが振り当てられたのは、宿屋の女将であった。
部屋を請うヨゼフとマリアを「部屋はひとつも空いてないよ」と、冷たく
突き放すのである。
が、身重のマリアをチラリと見て、今度は「馬小屋なら空いているよ」と
情けをかけてやるのだから、小意地が悪いのか多少は親切なのかはっ
きりしないけれど、やりがいのある役だと自覚したのかもしれない。
まさかぁ。このお稽古中は休まずに通ったと思う。

シスターはおっしゃるのだ。
「馬小屋なら空いているよ」の台詞を言い終わったら、後ろの方に身体
を向けて馬小屋がある方向を指で示せと。
これができなかった。
後ろを向くのが早すぎるとか、指している指の方向が違うとか(「ハムレ
ット」でのフォーティンブラスの小栗旬が指し示した指先が、曖昧に下を
むいていて笑える。。なんて言って悪かったかしら)、身体がロボットの
ようでぎこちないとか、シスターのダメだしは、くどくて真剣だった。

台詞を言いながら動作をするという行為が、こんなにも不自然になって
しまうものかと、5歳で思い知ったのである。まさかぁ。
思い知るもなにも、ただ自分自身に焦れてしまったことを覚えている。

それよりも、東方の博士役のマー君が着ていた衣装のマントが長すぎて、
裾をズルズル引きずって歩いているのを見ては「なんか違うなあ」と、感
じていた。
人のことは冷静に観察してしまういやらしさ。

そのうちマー君が、マントを自分の足で踏みつけたものだから、思いっき
り肩からずれて身動きできないでいるので「もうだらしないんだから」と
世話女房気取りで、顎下の紐をしっかり結んであげたりした。
するとマー君は「あっ!蝶々結びだ!」と、何故か感動してくれて、それ
からというもの、私はマー君の女王さまとして君臨することになったので
ある(笑)

このマー君、中学から米国に行ってしまったのだが、新進気鋭の建築家
として、あちらの雑誌に紹介されているのを見た時には、ヨヨッ!と驚い
てしまった。

小学校の時の聖劇では、その他大勢の天使の役だった。





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