きまぐれがき
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2004年06月09日(水) それぞれの思い出.......ダーチャとフォスコ・マライーニ

朝刊の死亡欄にフォスコ・マライーニの名前を見つけて、添えられて
いる略歴を読んでいるうちにさまざまなことが脳裏を駆け巡った。

かつて読んだ須賀敦子のエッセイに、イタリア人のユキ・Mという人と
初対面だったたにもかかわらず、別れる時間が惜しいほどに話がはず
んだことなどを綴ったものがあった。
これを読んでいる途中で、このユキとはマライーニ家の娘なのではない
かと気がついたのは、学者の父親とその長女でユキ・Mの姉にあたる
ダーチャの記述のくだりまで来たときだった。

父親は人類学者で家族とともに北海道で過したことがあり、長女ダー
チャは作家として成功しているとあったので、イタリア文学をほとんど
知らない私でも「ああ あのダーチャ・マライーニだな」と、これより何年
か前に観た宮本亜門演出のストレート・プレイ「メアリー・ステュアート」
を思い浮かべたのだった。

ダーチャ・マライーニの戯曲「メアリー・ステュアート」は、生涯会うこと
のなかったメアリー女王とエリザベス女王を、夢の中で会わせて互い
に許し合うという設定のもとに描かれた二人芝居だった。
一旦舞台の幕が開いてしまうと最後まで場面転換はなく、役者は舞台
に終始出ずっぱりという、役者にとって緊張と集中力を強いられるだろ
う芝居だった。
さらに二人の役者がメアリーとエリザベスを演じながら、それぞれの
侍女にもなるという二役、場面によっては三役を演じるので、観客も
ぼんやり観ていると混乱の極みとなって、さっぱり訳がわからなくなる
芝居でもあった。
演じる側も見る側も気は抜けないが、宮本亜門の演出はリズム良く運
ばれていき胸をうつ終幕となっていた。


須賀敦子のエッセイには、須賀がユキ・Mと会ったずっと以前、まだ
ローマで勉強をしていた頃に、M家の蔵書の整理の依頼を受けて数日
間M家に通ったおりに、ユキ・Mとダーチャの父親であるM氏と、それに
ダーチャにも会ったことがあると書かれていた。

このM氏が、今日訃報を伝えられたフォスコ・マライーニだ。91歳。
第2次大戦末期に、シチリアの貴族出身の妻、まだ幼かったユキ、ダーチャ
ら子供たちと名古屋近郊の強制収容所に入れられたそうだが、解放された
後イタリアに帰られてからも変らずにずっと日本を愛してくれていたのだ。


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