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2009年07月10日(金) 気のせいか?木のせいである2/2



続き…。
しばらく枝などを払っていたが苦情は聞こへて来る。
で、切った。
有名寺院などを手がけている、造園屋に来てもらって切った。何代目かの造園屋の若頭領に切りたくないのだがと、その無念を言った。下を残したからまた生えてきますよとの言葉に少し救われた。

 切って次の日から異変が起こった。
庭が妙に明るすぎる。鉢植えの山野草が萎れている。近くの木で鳥がずっと鳴いている。夕方の部屋の温度が温暖期(…化ではないゾ)に入っているとはいえ、異常に高い。それまで午後には縁側から畳に木漏れ日が写り、木のざわめきとともに見ていて飽きなかった。
これが、一切なくなった。他にも木はあるのだが、葉摺れの音も丈もそう大きくない。十数年来無かった事である。
庭は西向きのせいもあり、真夏のような直射日光が、大きなすだれの合間をすり抜けて差し込んで来る。鑑賞どころではない。鳥が鳴いているのには思い当たる事があった。二年前小枝を払った時に一つ、今回全部切った時に,種類の違う鳥の巣一つ見つけた、其れを探しているんだろう。

 たった一本の木なのだが、その存在の大きかった事に改めて驚く。

 庭に出て、椅子にすわって妙に間抜けた空間、筒抜けの空を見ていて、かってない経験をした。
 一般に天気予報の手段としているのは、天気図を元にした天気予報、それに高層天気図とよばれる、天気図を元にしたものがある。高層と普通の天気図の違いは、普通の天気図は、その地点の気圧を表記し同じ気圧の地点を結んだ等圧線を記述する。高層天気図は同じ気圧の高度を記述し、同じ高度を持つ地点を結んだ等高度線をも記述し、その二つを会わせたり参考にして、天気予報をするが、各地での過去の経験や伝承を元に予測する「観天望気(かんてんぼうき)」もある。電波媒体が遮断された時に行う天気予報と思えば良い。

 山に入った際などには無意識に行い、天を伺う。例えば、巻雲、帚雲が出ていれば低気圧は数百キロ先で天気は安定、鰯雲などと呼ばれる雲が出れば秋の雲、太陽がぼんやり見える高層雲が出ると天気が崩れる、夏は豪快な入道雲…雷近し。などである。
その四季折々、時節の特徴ともなる雲がなんと!上記の雲が、一度にいろいろな方向に出ていた。専門家ではないので、一笑に付されるかもしれないが、あんまりにも珍しいので、ビデオに収めた。四つ短く平行に走る,地震の時に出るような雲も出ていた。ここの所、昼はともかく夜半は全然暑くなく、逆に涼しい。大きな寒冷期に向かっての一時の温暖期という説もあるが、なんとなく頷ける。

…で件の…、まだ生きている。

*青蓮院。正式には天台宗青蓮院門跡(門があった跡とちゃいまっせ、皇族他の出入りがあり、皇族と関係の深い寺を門跡[もんぜき]という。)
  
*大楠の木…親鸞が植えたと言う説もあるが、門塀にそって植えられているし、青蓮院は移築されて来た寺で親鸞とは年代が合わない。江戸時代仮御所として使われた事があり、粟田御所とも呼ばれた。
本尊の曼荼羅(まんだら)は光の仏である「熾盛光(しじょうこう)如来」、信長が焼き討ちし、豊臣秀吉によって曼荼羅が奉納されたとされる。

この木は,信長が火付けたのを見ていることになる。



 この文章は約二週間前くらいの事で、昨日、楠の丸太ン棒の切り口の端に、見事に若葉が生えた。ル・ネサンス(新生)とはこの事だ。庭に関して今までは、*南方熊楠方式(みなかたくまぐす ようするに放ったらかし)だったが、これからは、ちゃんと伸びすぎず大きくなりすぎないように気をつけようと思っている。

*南方熊楠…和歌山県生まれ明治の前年に生まれ、大正、昭和を生きた。幼少の頃から神童とうたわれ、驚異的な記憶力があった。10歳の時、知人の家で百科事典を読んでそらんじ、自宅に帰って正確に転写した。全150巻を5年間で写し終えた。博物学者、生物学者(とくに菌類学)、民俗学者。菌類学者
ロンドン大英博物館勤務中に人種差別が発端で暴力事件が有名。
民俗学者の柳田国男と論争。
後に、隣に霊がいるとか、奇異な言動から世間から遠ざけられて行く。庭は粘菌を研究するため放ったらかした状態であった。
ちなみに名前の「楠」はその神木クスノキにちなんでの命名といわれている。

天皇陛下が固有人名をあげて和歌にした事は有名。

 雨にけぶる 神島を見て 紀伊の国の 生みし南方熊楠を思ふ

                  昭和天皇  御製    











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