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2006年07月21日(金) 普通の人達の大行進



 先週の土曜日、東京に行って来た。めぐみさんを初めとする拉致された人々を返せというデモ行進に参加した。総勢700名くらいになったようだ。しかしこの大きなデモを報道したのは民放ではフジテレビだけであったらしい。スカイパーフェクTVのチャンネル桜(767ch)は一部始終を報道していた。

 もう、二十数年前になるのではっきりとは覚えていないが、京都の丸善の前や、南禅寺の山門の横で、小さなイラストや、プレートなどを地べたに並べて売っていたことがあった。
その頃、京都大学の西部講堂を中心として活動していた、自主上映グルーブ「織蕗屁の袋工事(おるへ?のふくろこうじ 仮名)」のメンバーだった友人から、「こういう奴見た事が無いか」と、写真を見せられた。その友人の友に見覚えは無かった。

その後、営業の終わった丸善の前、日中、修学旅行生でにぎわう寺の山門の前などで、上のいなくなった友の友を探す母親に何度となく会った。あわただしくタクシーから降りて来て、この写真の人見ませんでしたかと聞く。そのころ、「蒸発」と言う言葉が結構使われていて、何でも蒸発だろうで済ませていた所があって、まさか、北朝鮮が拉致して連れてったなんて、誰も思いもよらない事だった。

 聞かれても知らない物は知らないので、「いえ知りません、見た事ありません」としかいえなかった。時は流れて、ほとんどその事は忘れていた。
そして数年前、新聞に、特定失踪者の顔写真が何十名だったか載った。
そこに、先の母上が血眼になって探しまわっていた京都の大学生の顔があった。
 これとは別に、1992年に出版された関川夏央の「 退屈な迷宮」をきっかけに北朝鮮関連の本をかなり読んで、最初あまりなことが北朝鮮の人々におこっていることが信じられなかった。しかし、脱北者その他いろいろな人の証言で、現代にもこんな国があるのかと、あきれていたその国が、今度は「拉致」である。人ごとと思えなかった。国会でこの事を最初に言ったのが西村眞悟代議士であった。
その時の中継を見た事がある。どこぞの馬鹿議員が、ひどい野次を飛ばしていたのを覚えている。
 デモは、砂防会館別館 を出発して 平河町 ー 溜池山王 ー三河台公園で終わった。途中首相官邸前、在日が多く住む地区を通った。三つの梯団に別れて行進した。
4時半から始まり、6時半に及んだ。終わってから大急ぎでホテルに帰り、昇殿参拝をするために、服を着替えて靖国神社に向かった。みたま祭りで靖国神社は大混雑で、到着した時には、ちょうど昇殿参拝がおわったところだった。
仕方ないので、中に通してもらって口と手を清めて、下の廊下から二人して、本殿に向かって参拝した。

 拉致された人達が全員帰ってくる可能性は、北朝鮮が崩壊する(させる)以外にないと思っている。行き帰りに使ったタクシーの運転手に拉致の事を聞いたら、ほとんど無関心であった。これは、東京京都のタクシー運転手に聞いた。少しがっくりきた。が、昔は全人口の7%にみたなかった武士達によって維新が達成されたし、ほとんどの人々はそれについて行った。
だから、無関心な人をせめずに、その人達のぶんも背負って、のつもりで今回行進した。善かれ悪しかれ、今も昔も世を動かす人々は一握りであると言う事には変わりない。

 天皇陛下がある年から、靖国参拝取りやめた理由が書かれてあるメモが、今の時期突然出て来た。
天皇が個人的にどう思われようが、戦後、国会で全員罪なしとしている。
どうもA級と言う言葉から来る誤解がある事は、通信簿のABCから、 Aだと一番すごいから一番悪いと友人の娘さんなんかは思っていて、じゃぁ、オリンピックのウルトラCは?と聞いたら初めて気がついた。
この区分けはむしろ、A項、B項、C項と思えば良く,罪状の重い軽いで分けてはいない。
どういう前後の話で昭和天皇がそういったのか、まだ真相はわからない。民放のニュースでは分からないので、今夜のチャンネル桜の特別番組を見る事にする。













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