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2004年09月26日(日) こらボー然



 金曜日に、だんご三兄弟ぢゃなかった、千住三兄弟の一人、千住真理子のヴァイオリンと、能の金剛永謹の共演(コラボレーション)があった。同日に観世会館で狂言のある日でもあったので、少しどちらにするかで迷ったが、狂言はいつでも見られるからと言う事で、こっちにした。
 
 最初に言う。「木戸銭返せ!」

 隣に座ったお婆さんが小声で言った。「お兄さん(おっちゃんなのに)、コラモでぇチョンて何え?」
 「わはは…!  共演と言えばいいのに持って回った言い方するのが日本人の中にいるんですよ。」
 お婆さんは、何だと言う顔をして前を向いた。
 
カタカナ横文字、新聞で、サッカーの実況で、野球中継で、あらゆるところで聞かれる。最近は映画もカタカナ横文字のままのが多い。何を気取ってというと、必ず「いや言葉はダイナミックに変化するものだからこれでいい、日本文化の活性化に繋がる」と言う人がいる。
 ほとんど意味がない。だだ混乱し、一つの言葉に対して認識が曖昧になるだけである。
例えば映画制作に興味を持ち、コンビュータでその専用ソフトを使おうとしたとき、最初の障害は、内容の難解さではなく、この手のカタカナ語なのである。

曰く、ディレイ、セグメント、インスペクタ、サチュレーション、ヒュー 等 もうこれだけで辞書で調べるにも、ABCが分からない。お手上げ。
もう、*中馬庚(ちゅうまかのえ ) がbaseballを「野球」と造語訳した気概はないのだろうか。特殊な分野の専門家に売るソフトならそれでもいいだろうが、販売対象は一般の人である。
一度 数社に「今までの売り上げの10倍売る方法」をこの事に絡めて手紙を書いた事がある。
反応なし。

さて、「共演」はどうだったか。この奇をてらった企画をした連中は、両方の客を集めてどうしたいのだろう。
「上演が始まると席の移動はご遠慮願います」
そうだろう。
「携帯はお切り下さい」
ごもっとも。
ところがである。開演なって前半が終わろうとする頃にも、ばかばか遅刻者をいれる。係員が能に対して無理解で、すすんで拍手してこちらに促す。
 能楽は西洋演劇と違って幕がない、顕著なこれから始まると言う境がない。だから拍手はしない。これくらいの事を始まる前に説明すべきである。
 
 たん譚は、何かがあった場合、2.3の動作で外に出られる位置にいつも席を取る。左肩(もしくは右肩)は必ず通路に接する。挟まれる位置には金輪際座らない。映画館でも端の席がない場合、入館していても帰る。
 今回は非常口すぐ横に置かれた、ちょっと高級なパイブ椅子に座った。この位置は目付柱(演者が面を着けた際、狭い視界の中で位置決めのためにある柱、観客にはとても邪魔だが取っ払うわけにはいかない)がちょっと邪魔になるが、通路に置かれていたので足が伸ばせた。
 
 少し遅れてやってきた人達は、パイプ椅子席に座った。偶然にも、たん譚の周りは、礼儀を守ってだーれも拍手しなかった。係員が怪訝そうにこちらを見ていた。
 
千住真理子の出だしのヴァイオリンの音色はびっくりするくらい奇麗な音だった。ヴァイオリン演奏の中でも技術的に難しいと言われる、パガニーニの24のカプリース(24capricio) を披露したが、聞いていて日本人て真面目なんだなぁと改めて思ってしまった。
まことによく弾くんだけれど、「おもろない!」のだ。

なぜこんな偉そうな事を書くかと言うと、この曲、ワデゥム・レーピンとロビー・ラカトッシュの超絶の掛け合い演奏で何度も聞いているからで、最初聞いたときは逆毛立った。 ベルギーの有名レストランを拠点として演奏を続けている、酔っ払いで女たらしのおっさんが弾くパガニーニの方が心打つ。
解説者が言っていたような、「ストラディバリウスとの出会い」なんてあまり関係ない。

第三部は千住真理子のヴァイオリンと、能の金剛永謹の共演は、世に「油と水」の例えあり。合いませぬ。
狂言に行けばよかった。「木戸銭せ!」


*明治の文豪・ 正岡子規 の筆名の1つ「野球(のぼーる)」が野球の語源であるという説もあるが誤り。baseballの意味で「野球」という単語を子規自身が使ったことはなく、「ベースボール」「弄球」「投球」と言っていた。弟子の河東碧梧桐 と言う人が回想禄の中で、ベースボールを訳して『野球』と書いたのは子規が最初だが、それは本名の升(のぼる)にかけた、野球(ノボール)の意味であった。」と書いたため、「子規がbaseballを野球と訳した」ということになったらしい。










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