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2004年04月03日(土) 超(鳥)人



 子供の頃から超人に憧れていた。とはいっても、テレビや映画に出てくる安っぽいヒーロー(昔エイトマン月光仮面、今仮面ライダースバイダーマンなど)なんて一切興味も無かったし、ましてやなりたいなどとは思いもしなかった。

 以前、フルコンタクト(実際に打ち、蹴る)系空手の有名な選手が、この手のヒーローに憧れて今日があると言うような事を行っていた。
ちょっと信じられなかった。現実と架空・絵空事の区別がつかないのだろうか。こういう人がやがて道場を開いたとして、門下に集まってくる人たちは何のもとに集まってくるのだろうか。師範の頭がマンガなのにである。

ここで門下生達は何を学ぶのだろう。多分、対敵に対しての強さだけを学びにくる。だから当然のように、体は大きい方が良く、筋肉を膨らませる方へ向かう。大きくて筋骨隆々は小さくて普通の人を教えられない。が、20年経っても象には勝てない。

 それはさておき、小さい頃から憧れた人たちは、上の種類のヒーロー達では無かった。全部実際にこの世に生きた人たちであった。その一人、小学生の頃、*零戦乗りの坂井三郎を知って、子供雑誌や「丸」という雑誌でよく読んだが、もう頭の片隅に残っているだけだった。
映画、ラストサムライをきっかけに、「武士道」をもう一度調べて行く内に偶然坂井三郎が「葉隠」で知られている佐賀県(佐賀藩 鍋島 直茂公)の出身であった事から、著作をまとめて読んでみた。

 戦後、坂井三郎の本は「SAMURAI」の題名で、米国・カナダ・フィリピン・フランス・フィンランド他で、訳され出版されベストセラーになっている。
零戦(れいせんと読むのが正しい)の圧倒的な強さに興味をひかれた事もさることながら、小学生の時になんでそれほど興味を持ったか再度読んで解った。
多分、著者の超人性に憧れたのだろう。読み返すまでまったく忘れていた数々の信じられない逸話があった。

 空中戦に圧勝するためには、先手を取る事、先手とは索敵(さくてき)をいち早く行うと言う事につきる。そのためには目が良くないといけない。
雲一つない空、 何万メートル先の、針の穴に等しい敵機を見つけるためだ。
発見される前に発見する。
誰にでも目が良い事が前提だとは理解できる。目の性能は多く先天的なもので、普通、維持は出来ても今以上にはならない。ところが坂井三郎はそうは考へない。
なんと目を鍛えはじめる。まず目に良いと、機会あらば緑の木々を凝視し、夜更かし、深酒を避けた。電車内から瞬時に看板を読み取る、群れ飛ぶ鳥をすばやく数える。ここまではなーんだで済ませられるが、ここからが常人離れしてくる。
坂井三郎は、目が良ければ、昼間でも星が見えるはずだ ?!と考へ訓練をはじめるのである。

 まず簡単な星図の知識を得て、昼間、天頂(頭の真上)に来る星の中でどの星が一番明るいかを調べ、夕暮れ時には、いち早く一番星を見つける、明け方には最後まで消え残る星を探した。
 
 真昼に飛行場の芝生に寝転がり、ひたすら天を凝視し続ける。そうしてついに星を見つける。回を重ねる毎に、発見は早くなりそのうち立ったままでも見られるようになったと言う。空が澄み切った日には、見つけた星の回りに無数の星が見えた時もあったと言う。(8000m級の山では、昼間星が見える)
視力はこの時2.5になっていた。

 反射神経の鍛錬も驚くべきものがある。止まっているトンボ、飛んでいるトンボを素手でつかむ練習をしてついに出来るようになる。これだけで終わらない。剣豪宮本武蔵がやったと言われる、飛んでるハエを箸で掴むという逸話を地で行く。初めとまっているハエをつかむ練習からはじめ、ついには、飛んでいるハエの軌道予測をし、そこを掴む事でつかめるようになったと言う。
 
 まだある、持久力を養うために、水泳をやり潜水をやった。100m!を潜って泳げるようになった。息を止めて2分30秒の記録を持っていると言う。
 飛行機乗りは、急激な荷重を受けるため、内臓が垂下してくる。それを防ぐために逆立ちをする。その逆立ちは、普通は4.5分が限度だが、15分以上できた。
 また、大型テントの鉄のポール(手では握り込めない位の)の上によじ登り、腕力だけで30分いて訓練生達を驚かせた。などなど…。
 
 坂井三郎は生まれつきの天才ではなかった。学業に失敗して、田舎に帰って、畑仕事の時に、空を舞う飛行機を見て飛行機乗りになろうと海軍に志願する。
 飛行訓練でも、最初はそう優秀な成績ではなかった。
目的に向かってすべての事を、それに関連づけて訓練した。それがおのずと「道」を作って行ったのだろう。 
 ラバウル空戦での圧倒的な強さ(200回以上の空戦で64機撃墜)は、「道」に裏づけされているといっても良い。
 
 最近、現在、米国に残る最後の一機、零戦21型(坂井三郎が主に乗っていた)が実際に空を飛んでいる所を収めた、米国製のDVDを手に入れた。このDVDは、最初にFBIの警告がある貴重なものだ。
 独特のエンジン音を持つ、栄十二型エンジンも心地いいが、何よりも驚いたのが、飛んでいる時の羽のような軽快さである。例えて言うとUFOみたいだと言えば良いのか、重力にひっばられている感じがしない。本当に軽い。これに鍛え抜いた坂井三郎が乗っていたのなら、敵機15.6機に追い回され撃たれても、ラダーフットペダルを左、と同時に操縦桿を右に、といった激しい動作で巧みによけて無傷で帰還したというのもうなづける。とにかくふわふわ浮いている感じがある。
 昭和17.8年当時、830リットル(増槽含)で台湾の台南からフィリピンのルソン島まで480海里(1海里約850m)往復出来た。
 戦後9年を経ても、マッカーサーは航空母艦を使ったのだと信じていた。そのくらい信じがたい無給油での飛行距離で、現在でも坂井三郎がだした記録は抜かれていないはずである。現在の新鋭機と言えども、バケツ単位で湯水の如く燃料を消費する。

 日本人は、何かを追求する所に、自ずと「道」をつくってしまうのかもしれない。
 
 *零式艦上戦闘機二十一型(れいしき・かんじょうせんとうき・にいち) 
総数一万四百二十五機作られた。終戦までに十四回の改良がなされたが、二十一型がパイロットにもっとも信頼された。
どれだけ強かったかと言うと、どこの国でも、敵前逃亡は軍法会議ものである。が、戦争初期、米国では、零戦にもし遭遇したら、ただちに逃げ帰ってもよい事になっていた。そのくらい、他を圧倒していた。
空の要塞、死角ゼロと言われた、大型爆撃機B-17も落とされている。体格差はねずみと蟻くらいだろうか。
 これほど強かった零戦も、格闘戦でどうしても勝てない戦闘機があった。九六艦戦(九六式艦上戦闘機)である。この戦闘機は、零戦に全て(格闘戦)において勝ったが、航続力と貧弱な武装、固定脚などの問題で主戦闘機には採用されなかった。


*参考文献:
大空のサムライ(正・続) 光人社
坂井三郎空戦記録 講談社
ゼロ戦の栄光と悲劇 "
坂井三郎の零戦操縦 並木書房
大空の決戦 鱒書房
撃墜王との対話 坂井三郎・高城肇 著 光人社
昭和研究会 ある知識人集団の軌跡 TBSブリタニカ
零戦の運命 講談社
零戦の真実 "
DVD A6M5 ZERO -Navarre corp-



     










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