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2003年06月05日(木) 徐福とくらげ



 秦の始皇帝は、東の国にあるという不老不死の仙薬を求め、薺の国の人、方士、徐福を蓬莱の国(日本)に探しにやる。 方士とは、呪術を操る人や仙人のことで、西洋の魔女や魔男にあたる。
 「史記」秦始皇本紀(BC二百十二年・二百十九年)、「漢書」伍被伝、「呉書」孫権伝に見る限り、始皇帝が全国から方士を集め、その中にいたのが徐福で、徐福は、国内で仙薬をついに見つけられず、窮して蓬莱の国にあるとでまかせ?を言って、日本に来たのだろう。不老不死の薬なんて、いくらこれがそうだと言っても、年を経るごとに容貌は変わっていく。すぐ嘘がばれる。だから徐福は日本に何千人もの人を従えて、逃げてきたのだろう。本当に見つけたところで、証明には長い時間がかかるし、もし効き目がないとなったら、すぐに殺される。なんで今更 秦に帰られようか。
かくて日本津々浦々に、徐福伝説が残った。

 近年、この徐福さんの探し求めていた不老不死の薬ではないが、生き物が発見された。
世界中の温熱帯海域に当たり前にいるべにくらげ(直径1cmくらい)がそうで、その中でもイタリアのサレルノ半島沿岸産のものだけが、遺伝子プログラム解明による「不老不死」の研究材料として確認されていた。が、日本でも鹿児島水族館の近くの海で捕獲したべにくらげにも確認された。普通死んだら、動かなくなり、海底に沈み溶ける。ところが、シャーレ上で実験したところ、溶けずに底に沈んで根状に変化し、約二週間で、若い成体になる以前の「ポリープ」と同様の形態を整え、半年後も群体を形成して成長を続けているという。

 死の概念は本来、一倍体細胞(バクテリア・藻類、酵母、アメーバー等の原生生物)にはない。これは無限に増え続け増殖する。
それに比して二倍体細胞(植物や動物)は、ある回数分裂して殖えると死んでしまう。「生者必滅」は二倍体細胞の生物に限られる。
ではなんで二倍体細胞は死んでしまうのか?
動物は酸素を摂取する。 酸素は細胞内のミトコンドリアでエネルギー源となる。そのとき電子が余り、活性酸素となり、この活性酸素がDNAを傷つけ、これを修復するのがSOD酵素で、傷が深すぎると治しきれずに残る。そうするとその傷ついたDNAが切断される。再生されるが、それ以上に細胞が死ぬ状態を老化という。全体におよぶと、これが(細胞)死である。

 一説に徐福の求めたものは昆布とか鮑(あわび)とか言われていて、海のものには間違いなかったわけで、支那料理に海月(くらげ)は昔からある。ただいくら食っても二倍体が一倍体に先祖帰りは(人が生まれる時に細胞レベルで通ってはくるが)、出来ない。

 古くはスィフトの「ガリバー旅行記」で、ガリバーが日本に来る前に立ち寄った国の不老不死の人間、手塚治虫の漫画、火の鳥中に出てくるロビタや、最近では映画のA.I.(/ARTIFICIAL INTELLIGENCE スピルバーグ)の中に永遠(不死)の概念が出てくる。人が求めて止まないものかも知れないが、やはりぞっとする。死は歴史をつくる。永遠の生が誕生したら、今度は人が自らを傷つけ、死を選ぶに違いない。永遠の生からは美も宗教も生まれない。
生者必滅会者定離、これでよいのである。
 










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