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2003年04月03日(木) もう一人のベルナール



 フランスの三つ星料理店の料理人、ベルナール・ロワゾーが亡くなったのは、2月の終わり頃の事だった。まだ記憶に新しい。
一昨日、フランスから速達が届いた。いつも行く、ボークリューズ県のジットの主(あるじ)の奥さんからだった。
原色の小鳥のわりと大きめの切手を貼った封書だった。何だろうと、封を切ると便せんではなく、印刷された一枚のカード。「私達は苦悩の後、ベルナールの死をお知らせしなければなりません。3月10日に永眠しました。喪主アンドレ・マヤン」
何度読んでも、実感が伴わない。一昨年に、母親を連れて南仏のジットを訪ねたときに、新しく出来たプールの横で昼下がり、自家製のパスティスを振る舞ってくれた。夏の南仏の午後は働けない。ひたすら厚い石壁の中に、窓の扉を半開きにしてやり過ごすか、思い切って庭にでて、パスティスを飲んでペタンクをするか、プールで腹を見せて浮いているしかない。
大きな木の下のテーブルで、うちの母を優しく迎えてくれた。その時に、半ズボンから出ているベルナールの足が異様に細く、首周りも何だか細く感じたが、あまり気にすることなく、午後の楽しい一時を過ごした。

 今考えれば、あの時すでに病魔に襲われていたのかも知れない。パスティスもビールにも手をつけなかったような気がする。ベルナールは三兄弟の三番目で、長男は手かざしの心霊治療師、次男はアフリカ方面の軍隊のヘリコプターの操縦士、この次男は何年か前に癌で亡くなっている。

 ’85年に初めて訪れ、日本の田舎のバランスを失ってしまった風景と違い、素朴がそのまま残っている南仏を知って以来のつき合いであった。それから折りに触れ、滞在中は、夕飯に招いたり招かれたり、実にお世話になった。

 たん譚とはおない年であることは随分後で知った。向こうの男も女も、年の割にずいぶんと大人である。日本人は幼く見えすぎる。ベルナールの一人娘が、高校に入る頃、はっきりと大人の顔、大人の雰囲気になるのを見た。日本人の同年代が化粧してもそうはならない。フランス人は、顕著なそういう現象があるらしいことを他からも聞いた。
 現在娘さんは地場の学校の先生になり、二年くらい前に結婚している。
ベルナールと奥さんは、日本に来たいと言っていた。来たら、日本の畳や酒蔵や料理で迎へようと思っていたが、唐突な、あまりにも早い死に、世の無常をあらためて感じてしまった。
 とりあえずお悔やみの速達を送り、この六月に墓参りに行くことにした。
あの広い葡萄畑の剪定や収穫はどうするのだろう。大きな林の向こうにある、名産のメロン畑の面倒は…。
ジットの運営や、イル・シュール・ラ・ソルギュの交通課の仕事はどうなっているんだろう。
素朴で剛毅でひょうきんな南仏人だった。


マヤンの庭での思い出の一時











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