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2003年01月22日(水) 「らしさ」の真実



「男女共同参画社会基本法」が、安易に女が外で働くことへの良き口実となりつつある。家庭で育児をし、切り盛りしている専業主婦には冷たい風が吹いて、配偶者控除がなくなる。まるで家で育児をする主婦も、子を訳の分からない人間に預けてでも働けと言っている、社会主義国のような扱いである。
 もう二十年前くらいになるか、「シャドーワーク」(イヴァン・イリイチ)という本が話題になって読んだことがある。シャドーワークとは家庭で働く主婦の労働の事で、主婦の仕事の賃金はだれが払うか…と言うような視点から、専業主婦を否定していく。
この本は日本以外の国では、説得力があったのだろうが、ほとんどの男が給料を主婦に渡している日本では、何だか説得力がなく、読んだ後もそう印象に残らなかった。日本の主婦の場合は、もらった給料からへそくろうが何しようが、その主婦の腕一つである。

 が、主婦が育児を他人に任せても、金儲けに社会にでて、ここ最近どうなったか?少ない保育所で、事件が起こると、自分の責任は棚にあげて、保育所を目をつり上げて非難する。
 「ジェンダーフリー(男女性差からの解放)」
なんだそうな。男女の性差は後天的なもので、社会や環境が男らしさや女らしさをつくったのだから、それをなくそうという運動の一環で、大阪、高槻市の公的な出版物に、男がスカートを履き、白塗りにお化粧しマスカラをつけた、二十数人が大まじめで、男から解放される訓練を?している写真が載っていた。一言に言って大笑いした写真であった。税金を使ってこんな事をしている。
こんな性倒錯者の恰好する事がなんで男女を越えたことになるのか?

 現代の医学では、性倒錯は何らかの身体内の事故であると言うことが解っている。男らしさ女らしさは後天的、社会環境的な物ではなく、脳内で性分化を決定するアンドロゲンの分泌によるものだそうだ。男児は、妊娠中の胎児期と生後二日から六ヶ月位の間の二回にわたって、脳内でアンドロゲンのシャワーを浴びる。女児にはこれがまったくない。従って、俗に言うおかまさんやおなべさんは、この脳内シャワーの時に、何らかの事故によって、シャワーが浴びられなかったり、その逆だったりして、性が倒錯したと考えられる。性差は後天的な物ではなく、生まれ落ちるときから決定されているということだ。

 話が少しそれたが、目出度く社会進出して、家庭を留守にし、今どういうことが起こっているかを、そちら方面の先進国スウェーデンで見ると、子供の犯罪が急増し、今では大人の犯罪がアメリカの4倍、日本の20倍、強盗にいたっては日本の100倍という、驚くような荒廃した国になっているらしい。
 犯罪を犯した子供の家庭環境を調べてみると、母親の優しい愛情が不足していたというケースが圧倒的に多いそうだ。

 中国(北京市海淀区で2000組の夫婦を対象に行った調査)でも、仕事を持つ妻の6割以上が専業主婦を望んでいることが分った(「人民網日本語版」2003年1月12日)この事実を日本のフェミニズムはどう解釈するのだろうか?相変わらず、自分が出来ないからと「くたばれ専業主婦」と言い続けるのだろうか。
 子供の非行の調査で、自衛官の子女達に、非行に走る者が皆無に近く、夫が外で働いているのを支え、家庭にいて、しっかり子供を見て育てている家に、非行に走る子は少ないという事実を、世のフェミニズム信奉者は発表したがらない。

「鉄の女性」サツチャーは、流行するウーマン・リブ(女性解放)やフェミニズムに抗して、妻であること/母であること/主婦であること、に誇りをもつべきだと、全女性に訴えつづけた。
「”ただの"母親、あるいは"ただの"主婦であるのは、他にやることが無いからなのだという考え方を私は決してしない。首相になる前にも、なってからも、そのような言外の想定を耳にしたときにほ、強い怒りを感じたものだ。当然のことながら、母であり主婦であることほ、非常に立派な仕事である」と。

            参考文献:中川八洋著書
               「脳の性差」新井康充著 共立出版
               「サッチャー私の半生」上巻、日本経済新聞社
















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