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2002年04月12日(金) 焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)



 千葉県船橋市の船橋市西図書館(木村洋一館長)が、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆に加わった扶桑杜の教科書採択をめぐる論議が高まっていた昨年八月ごろ、教科書の執筆者で評論家の西部邁らの著書を大量に廃棄処分にしていたことが十一日、分かった。
(今朝の産経新聞)
それによると、西部氏の著書を四十四冊所蔵していたが、昨夏、四十三冊を廃棄し、現在は「六十年安保センチメンタルジャー二1」の一冊だけ。上智大名誉教授、渡部昇一の著書も五十八冊あったが、「そろそろ憲法を変えてみようか」「国益の立場から」など半数近い二十五冊を廃棄した。

 これは現代の焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)である。焚書坑儒とは、「書を焚(や)き儒を坑(あなうめ)にす」とも読んで、思想・言論・学者などに対する激しい弾圧の事で、やってはならないことである。上の西部氏の著書は一冊を残して他は廃棄とされた、残した一冊とは氏が全学連の左翼運動家の頃の事を書いたもので、これでどういう人達がこう言うことをしたのか明かである。
 官公庁などに深く潜入、就職した左翼な人達の仕業である。NHKにもいる。学校の教育現場にも沢山いる。彼等に共通する事、歴史認識にしても何にしても、頭が固定されている。勉強しない。だから、異論が出てくると、疑いつつも読んで見ることをせずに、排除してしまう。
 今回のこの焚書は典型的な行動だろう。目に障るものは、消してしまえである。古くは焚書坑儒の語源になった秦の始皇帝、ヒットラー、スターリンなどがやった。

映画では、トリフォーの「華氏451」J・ジャック・アノーの「薔薇の名前」が思い出される。
華氏451度(232.7℃)と言えば、紙が燃え出す温度で、これは本を焼くという意味の暗喩になっている。それで、焚書反対グループのとった手段、日本の古代の武内宿禰(たけのうち・すくね[スクネは名前ではなく、…家といった意味])よろしく、焼かれる本をすべて暗記し後世に伝えようとする。そんな映画だったと記憶する。

 記号論学者のだれだったか原作の「薔薇の名前」も、挿し絵画家やラテン語の訳者が次々殺されていく、その行き着く先は一冊の本、それは確か「笑(嗤い)い」のあるもので、それを宗教者は焚書にしようとしたという、内容であったように思う。
 昔の時代ならしようがない。だが、現代の、それも書物を保管する役目のある図書館にまで、神のごときの左翼思想人士が都合の悪い作家の本を、一冊残して全部処分してしまうなどという行為を、どう考えたらいいのだろう。  
 焚書扱いされた当の西部さんは「そう言うこともありなん、棄てるに至った理由をはっきりさせてくれ」と寛大だけれど、日本が至るところでゆがんでしまっている証拠がこんなところにまで現れている。(敬称略)











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