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2001年12月16日(日) 第九十六回京料理展示会



 勧業館に名だたる京料理老舗の自慢料理盛りつけを見に行った。第九十六回というのは単純に考えてみると、年一回として、九十六年前から開催しているということで、1905年以来となる。途中戦争で中断したとするともっと前と言うことも考えられる。
1905年というと、日本は奉天会戦でロシア軍を破り、日本連合艦隊は日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅し、決定的な大勝利を収めた。日露戦争の最中である。
こんな時にも、料理界の人々は研鑽を積み、それを世に問うていたとすると、日本料理の体系だったものはすでにとっくに出来上がり、世に問おうとしていた事が興味深い。凄いの一言に尽きる。会場で実演していた、生間(いかま)流包丁式は平安時代に始まっている。
今日当たり前のように思っている、「ヨーロッパ」の概念がまだどっこにも存在しない時代だ。その時代に、「生間(いかま)流包丁式」が行われた。
平安時代に宮廷で祝いごとがあった際、食前の儀式として行われ、今に伝えられている。包丁と銀ばしだけで、手は一切触れずに魚をさばくものだ。
藤原家摂関政治の全盛の頃、西洋では、ようやく神聖ローマ帝国建国(962)している。その頃、包丁作法としてすでに完成している。
世界史の中の日本の文化熟成度を考えると、その文化程度の高さはただただ唖然とするばかり。
そんな事を思いながら、老舗の盛りつけを見て回る。瓢亭・たん熊・魚新・菊水・美濃幸・菊の井などなど名だたる名料理屋が腕によりをかけての展示。寿司組合の寿司店の出す変わり寿司も興味深かった。ただ、キティちゃんをいくら上手に寿司で再現しても、子供にこびる以外なんの事もない。
止めた方が良いと思った。
今回非常に印象に残ったのは木乃婦(きのぶ)の日本料理だった。大胆に、料理の最初からシャンパーニュではじまり、ワインで酒の変わりとし、本格的な新日本料理の体をなしていた。大皿にフカヒレ丸の儘を蒸して、葛でとろみをつけた、まるで支那料理のような大胆なものなど、とても印象に残った。ここには近い内に食べに行くつもりだ。
改めて、一に日本料理、二に支那料理、三にフランス料理となるなぁ、食べたい順番は。










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