目次過去未来


2001年10月15日(月) 法然院の音楽会



 寺が西向きに傾き、ここに住む寺の貫主より偉い、むささび・もりあおがえる達のため?に、普請し直すということで、慈善音楽会が開かれた。
演目はテレマン・バッハ・パガニーニ他、出演者10数名にもおよんだ。

先の盛夏の昼下がり、本尊の前で読経会をした同じ場所で行われた。本尊の前にはなぜか文机、別名二月堂が縦に五枚立てかけ並べられて、塀のように後ろの仏さんを遮っている。二月堂は黒漆に朱の漆で縁取りされていて、我が家でも、家の者だけの時は一つ、人が四人くらいの時は二つつなげて真四角の食卓に、それ以上だと三枚つなげて使うとまことに便利で、もう随分ながいこと愛用している。
風呂敷と一緒でこれは図抜けた便利ものなんである。風呂敷は一升瓶二つ簡単に包めてさげられる。そこで、同じものを入れる鞄を用意してごらん!どうだ、そう簡単には一升瓶二本入る鞄なんぞないだろう?
入ったとして用済みの後、その鞄は依然としてでかい鞄をやめないが、風呂敷はポケットにはいってしまう。二月堂の机もこれとおなじなのだ。

ところで、仏さんを遮る文机五枚は何だろう……。
バッハの無伴奏チェロ組曲は、やっぱり、カザルスのがいいなぁと思いながら、この禅問答?(法然は浄土宗)が解けた!二月堂が五枚で十月堂!そうか、今月は十月だった!(ほんまかいな)

 フルート奏者は三人いたが、ブラジル風バッハを演奏した、フルートの中川佳子がすごかった。あのフルートはすごい!ちょっとびっくりのテクニックだった。
コオロギが鳴く秋の夜半、音楽会は最終曲に突入、ここでがらりとなぜかボサノバタイムに変わり、全員が出てきて、ご本尊の前で大ばちあたり大会となった。なんかすごい景色だった。百数十人の聴衆は絶句していたようにも感じられた。
が、これが日本人の柔軟性かも知れない。これがなかったら、その昔、神道・仏教相容れず、宗教戦争とあいなったかも知れない。けれど、本地垂迹説(仏神同根)なんかを発明して日本人はうまくやってきた。イスラム原理主義の前でこれやったら、まず、偶像破壊で仏像は爆破、分けのわからん音楽を流す奴は、広場で射殺。よかった、日本に生まれて。
それにしても、寺にはバロックがあう。ここに眠る谷崎潤一郎の墓碑銘は「寂」とあるけれど、さぞかし今夜は草葉の陰でうかれていたにちがいない。オッペケぺ節で有名な川上音二郎もここに眠っているが、案外ボサノバとオッペケペッポペッポッポはあうかもしれない、

音二郎の傑作風刺を一つ、「権利幸福嫌いな人に、自由湯(じゆうとう)をば飲ませたい、 オッペケペッポペッポッポ〜♪」










myrte21 |MAILHomePage